今日の親仁(オヤジ)ギャグ

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10月5日(月)-この字、何の字-

 寺嶋和平氏が大将の銀座「小笹」は、何時行っても満席の超人気店である。銀舎利が口腔内で蕩ける感覚を知った鮨屋がここだ。焼酎が大分廻り、鮨で太っ腹が満たされたころ、「最近一段と「小さん」に似てきましたか?」と訊ねてみた。幾分照れ顔で、「師匠の岡田が「小さん」を大嫌いでしてですねぇ」との応えであった。
 「小笹」に行きはじめたころの話だ。小生が宮崎だと言うと、大将の修業時代の先輩(兄弟子)が都城出身で大変可愛がられたが、不幸にも交通事故で亡くなったことを、悲哀を込めて語ってくれた。岡田とは岡田周蔵氏のことで、頑固一徹の鮨職人として名を馳せた人物であり、寺嶋氏の師匠、その人に他ならない。大将の寺嶋氏は、聞きしに及ぶ師匠とは対角線上の職人で、温和温厚そのものだ。
 小一時を、当てと「天下一品」の握りで堪能させてもらい、挨拶をして帰りの暖簾を潜る。入店時は気付かなかった暖簾の字。これは何と読むのかと尋ぬれば、女将の奥さん曰、「岡田が大将に常々書いて教えていた字で、意味は「すし」だそうです」。「すしにはこういう字もあると教えられたそうです」と続けた。
 翌日帰宮して、それこそ小一時間、漢和辞典やパソコンでこの文字を調べたが、終には降参した。それならば、岡田氏の発想力を想像するしかないと思い、さらに小一時間を費やして、一つの答に到達した。麻ダレは家の意味で、魚はさかな、家の上に人偏すなわち人が5人居る。「魚という屋台骨に、鮨職人を中心に漁師と魚河岸の魚問屋、鮨を喰らう客、その他の脇役が居る」と解せないだろうか。
 暖簾は季節で色や文字を変える。これが「江戸の粋」というものかと勘繰る。岡田周蔵氏の「小笹」は、大将曰、「岡田は5か6代目で、文久(1861-1864)が一代目だそうす」。岡田氏は今や故人であるが、握りの技術だけでなく、鮨にまつわる職人の魂を教授したところが、「巨匠」と言われる所以である。
 師匠である岡田氏の昔話や修業時代の苦労話をしている時の寺嶋氏が握る鮨は、さらに旨いから不思議である。

 
 

固定リンク | 2009年10月05日【47】

10月3日(土)-雪駄の挿げ替え-

 昭和34年は西暦でいうと1959年。小生も今月で五十路に突入する。歳が行くと自然に「日本古来」のものに興味が向くから不思議である。
 今週の火曜と水曜は遅れ馳せの「盆休み」で東京に行った。前回求めた「着物」の試着が一つの目的である。裾が2センチ程長いとのことで、あと2週間待ちとなった。愚妻の言うに、着物は履物がないと着れないらしい。そこで記憶をあてに草履屋を探して話を聞いてみた。
 着物には下駄か雪駄で、遊びでは前者、訪問には後者を履くとのことだ。然るに下駄はカジュアルで、雪駄はフォーマルということになる。居酒屋に赴く折はどちらかと問うに、番頭曰、「そりゃー、雪駄を履いて行って下さいよ」。
 小生は元来、靴磨きを1時間見ていても飽きない性分である。足のサイズに合う雪駄と(鼻=花)緒の色を選んだ。この店の番頭(店長兼?)は「挿げ替え」の職人で、早々に作業を始めた。「挿げ替えも一人前になるのに10年はかかる」と言いながら、手を進める。雪駄を手に取ったのも初めてであるから、いわんや「挿げ替え」など見たこともない。技は10分と掛らぬ早業で、思わぬショータイムを楽しめた。
 そこで、雪駄についての講釈を垂れる必要が有ろう。雪駄の発案は、かの千利休(1522-1591)というからこれまた驚きである。雪駄(雪踏)を広辞苑で引くと、「竹皮草履の裏に牛皮を張りつけたもの。千利休の創意という。のち踵(かかと)に裏鉄(うらがね)を付けた。せちだ。席駄(せきだ)。⇒雪駄直し。慣-雪駄の裏に灸。雪駄の土用干し。」とある。
Wikipediaによれば、「雪駄(雪踏)は、履物の一種。竹皮草履の裏面に皮を貼って防水機能を与え、皮底のカカト部分にはプロテクター(後金)がついている。痛みにくく、丈夫である。また、湿気を通しにくい。諸説あるが、千利休が水を打った露地で履くため、あるいは積雪時、下駄では歯の間に雪が詰まるため考案したとも、・・・・・・・主に茶人や風流人が用いるものとされたが、現代では男性が着物を着る場合にはかならずといっていいほど雪駄が用いられる。」とある。
 まずの驚きは、雪駄の本体の畳表が竹皮で作られていることだ。番頭曰、「これは南部表と言って、若竹の皮を使っています。鼻緒と底革を換えれば25年は履けますよ。底革は牛の一番硬い部位を使います。緒は絹や鹿革が有ります。緒は麻を編んだ紐で結んでしっかりと固定します。そう簡単には切れません・・・・・」。
 さらに番頭曰、「表が汚れた時は消しゴムで取れます。雨の日は絶対に履かないで下さい。もし濡れたら、玄関に朝刊を敷き、その上に雪駄を置いて自然に乾燥させて下さい。長らく履く予定がない場合には下駄箱ではなく、なるべく温度差や湿度差の少ない高い所に保管してください。・・・・・」。
 そして最後に、「何でも気軽に相談して下さい。誠心誠意対応します。」との有難い言葉。商売の上手さに感極まった、四半時であった。着物に雪駄の出で立ちでニシタチ。いつもにもましての深酒で、雪駄の裏にお灸をされぬようにせねば。雪駄の土用干しなぞと、後ろ指を指されないようにせねば。○○の挿げ替えられなぞ、とんでもない。着物も待ち遠しいが、新たな悩みのタネになりそうな気配である。


固定リンク | 2009年10月03日【46】

9月9日(水)-「重陽の節句」に思う-

 9月9日は古来中国で重用された「重陽の節句」である。縁起の良い奇数で一番に大きい数字の9が並ぶのでそう言うが、その実は収穫を祝ったり、不老長寿や繁栄を願うものだ。日本でも平安時代以前は、農山村や庶民の間で田畑の収穫の時期に「栗の節句」とも呼ばれ栗ご飯などで祝ったという。平安時代になると、菊の花を浸した「菊酒」を飲み交わし、グミの実を掛けて悪気を祓う菊花の宴が催された。また、菊に関する歌合せや、「菊合わせ」という現代で言う菊のコンクールも盛んに行われた。
 水曜日の今日、本院と「宮崎犬猫病院」は休診である。昨夜は交通事故で皮膚と筋肉が広範囲に欠損した犬の治療を手伝いに夜間へ出向いたためか、今朝は少々疲労が残る。それでも入院の血液検査と注射が待っているので、気は抜けない。12時前に、第一食を求めて街方面へ出立。県庁の前をちょうど12時2〜3分ごろに通過。そうするとどうだろう、半袖ワイシャツ姿のいかにも公務員と思われる3〜4人の男衆グループが、蟻の子を散らしたように足早でどこかへ向かっている。小生の「第一食」と同じだと、一目で理解される。
 いつぞや「院長コラム」で書いたが、県庁内での11時半を過ぎてからの「出前」や「お茶くみ」の騒々しさには、閉口する。今も同様かは知る由もないが、今日の光景を見るに、何とも情けなく、腹立たしい。どこの部署か知らぬが、県庁舎から2〜3分で外の歩道を歩いているということは、12時の10〜15分前から仕事の「切り」を見極めている事になる。さらに勘繰れば、それより早い時間から、「店の選択」をしている事になる。足早なのは「同じ狢(ムジナ)」に先を越されない為か。
 「お茶」や「腹ごしらえ」をしないと業務の効率が上がらないのは、誰しも同じことだ。しかし、競歩のごとき速歩で「飯屋」を目指す「県庁キャリア」の形相は見過ごせない。とても「あすのMIYAZAKI」の改革を思案しているとは見えない。何とも悲しき「県庁行政」の「斜陽」を垣間見る、昼時の虚しさである。
 民主党政権発足まであと1週間である。自民の解党的凋落ぶりや官僚の「駆け込み」天下り、人事院総裁の辞任、郵政公社社長の更迭、高速道路の段階的無料化、・・・・・。「鳩山のハネムーン」が3ヶ月か100日かは知らぬが、目覚ましく「激震的」変革の気運を感じる。これは永田町1丁目1番地や霞ヶ関だけの問題でなく、即、知事や議員、県庁や市役所・役場の役人にとっても「平成事変」である。鳩山一郎の孫にして、「脱官僚」が他人事ではなく、現実味を帯びてきたのである。「高みの見物」どころではない。
 県庁の役人さん、「昼飯」ぐらいは「ゆるり」と食える方策を考えてみては、どうですか。始業時間を部署でずらすのも一案。終業時間を遅らせてその分昼休みを2時間にすれば、同僚や隣の部署の人間とも歓談できるし、何よりも「速歩」と「速飯」で胃腸に負担を掛けることもないでしょう。これで朝夕の通勤ラッシュも緩和され、大淀川に架かる「橋」も作らなくて済む。「速歩で昼飯」を考え「ながら業務」での効率低下も無視できないでしょう。「一石四鳥」とは正しくこの事でしょう。
 民間や庶民から見た「役人」さんは、まだまだ「ぬるま湯」ですよ。小学校や中学校ではないのだから、役所内の規則・規律は自らが創造し、「庶民」のための公僕として、その能力を十二分に発揮し、尽力していただきたい。これが「庶民」の切なる思いです。そして、「ニシタチ」で堂々と飲んで語らう姿が見たいものです。「補正予算見直し」に対する、「マンゴー知事」の「基金凍結なら訴訟も」発言。そんなことを言っている場合なのか。県庁という自城の、本格的な「脱官僚」への備えは出来ていますか、と問いたいものだ。「総理総裁指名」問題以来、「政治の勘」が鈍った迷走知事の手腕再起に、もう一度托するとしましょうか。
 菊は、中国では縁起の良い花である。日本では、葬儀の祭壇に菊が供えられるためか、祝花のイメージとは程遠い感がある。真の政(まつりごと)は「祭りごと」ではない。「ふざけ(腐酒)」た政治や行政はもう御免を蒙りたい。庶民の要望を「聞く」だけで、実行力ゼロの政治屋なぞ退散願おう。後の余生、ほんまもんの「菊酒」を呷る日を嘱望して、毎日の生活を精進するしかない。

<菊の豆知識>
 菊の野生種は存在せず、中国で1500年前に交配によって生まれたとされる。花言葉は「高貴」。鎌倉時代に後鳥羽上皇がことのほか菊を好んで印として愛用し、その後も継承されて、慣例のうちに菊花紋、ことに「十六八重表菊」が天皇・皇室の紋として定着した。西洋では、日本の発展した観賞用菊が渡って広まり、墓参に用いられた。日本でもこの影響を受けて葬儀の際の献花には菊が用いられるようになった。

 

固定リンク | 2009年09月11日【45】

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