今日の親仁(オヤジ)ギャグ

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今週の親仁ギャグ・2020年3月8日(日)〜3月14日(土)

●軽島豊明宮(奈良県橿原市大軽町 390年〜430年 応神天皇)から始まりとされる日本の王宮の変遷の数には驚愕する。軽島豊明宮→難波大隅宮(大阪市東淀川区大隅)→難波高津宮(大阪府大阪市 430年?〜456年? 仁徳天皇)→泊瀬朝倉宮(奈良県桜井市)→磐余甕栗宮→近飛鳥八釣宮(奈良県明日香村)→石上広高宮(奈良県天理市)→泊瀬列城宮(奈良県桜井市)→樟葉宮(大阪府枚方市)→ 筒城宮(京都府京田辺市)→弟国宮(京都府長岡京市)→磐余玉穂宮(奈良県桜井市)→勾金橋宮(奈良県橿原市))→檜隈廬入野宮(奈良県桜井市)→磯城島金刺宮(奈良県明日香村・奈良県桜井市など諸説あり・欽明天皇)→橘の宮→百済大井宮→訳語田幸玉宮(奈良県桜井市)→磐余池辺雙槻宮→倉梯柴垣宮→豊浦宮(奈良県明日香村 593年〜603年 推古天皇→小墾田宮→斑鳩宮(642年〜643年 皇極天皇)→ 飛鳥岡本宮(630年〜636年 舒明天皇→田中宮(奈良県橿原市)→百済宮(奈良県広陵町・奈良県桜井市など諸説あり)→飛鳥板蓋宮(奈良県明日香村 643年〜645年 皇極天皇)→難波長柄豊碕宮 ・難波宮(難波長柄豊碕宮)→飛鳥川原宮(奈良県明日香村)→難波長柄豊碕宮→後飛鳥岡本宮→朝倉橘広庭宮(福岡県朝倉市・高知県高知市朝倉丙)→近江宮(滋賀県大津市 667年〜672年 天智天皇 弘文天皇)→飛鳥浄御原宮(奈良県明日香村 672年〜694年 天武天皇 持統天皇)→藤原京(奈良県橿原市 694年〜710年 文武天皇 元明天皇)→平城京(奈良県奈良市 710年〜740年)→難波京 745年〜784年 聖武天皇)→難波京→紫香楽宮(滋賀県甲賀市 743年〜744年)→難波京(大阪府大阪市 744年〜745年)→長岡京(784年〜794年 桓武天皇)→平安京(京都府京都市 794年〜1180年 安徳天皇 1180年〜1868年)→福原京(兵庫県神戸市 1180年)→平安京 (南朝・吉野行宮奈良県吉野町 1336年〜1348年 後醍醐天皇)・・・※南朝時代にも数多く遷宮・・・→東京都(1868年〜 明治天皇から令和天皇)。Wikipediaを参考にしましたが間違いもあるかと想像しています。「〇〇宮」については個別に調査して下さいつづく。3月13日。

●「今月(2月)の旅」はまたまた奈良京都でした。
▼1日目:宮崎空港→伊丹空港(大阪空港からモノレール、近鉄と乗り継いで)→大和八木駅(橿原市)→(レンタカー借り)→長谷寺→(門前町で三輪素麺の温麺ランチ)→箸墓古墳纏向遺跡→斑鳩法起寺法輪寺法隆寺→(法隆寺前のホテル泊)
▼2日目:京都へ→伏見の平等院鳳凰堂寺田屋→(「鳥せい」で昼食)→月桂冠大倉記念館→京都駅→(レンタカー返却)→京都駅→(新幹線で東京へ)→(都内泊)
▼3日目:東京都内→羽田空港→宮崎空港

今回のメインは、卑弥呼関連の箸墓古墳と纏向遺跡、坂本龍馬襲撃事件のあった寺田屋(再建)でした。
つづく。3月8日。


固定リンク | 2020年03月08日【654】

今週の親仁ギャグ・2020年3月1日(日)〜3月7日(土)

●秀吉の子供とされるのは石松丸、一女、鶴松、秀頼の4人のみ。養子は秀次、秀康、秀俊、秀勝、豪姫、菊姫、竹林院、江、小姫、糸姫ほか。猶子には八条宮智仁親王、近衛前子ほか。いまの時代も珍しくはない門閥結婚だが、信長や秀吉、家康の時代はもっぱらであり、政略結婚であった。織田家の家臣の娘であった寧々は、卑賎の秀吉とは当時稀なる(?)恋愛結婚とされ、寧々の親は猛反対であったという。その秀吉が天下を取った後、多くの養子や猶子をもった。むろん武家貴族出身の者たちであった。「秀吉は卑賎から身をおこしたせいか、貴い門分でそだった女性に異様なほどのあこがれをもち、それがいまの身分になってもかわらない。」(司馬遼太郎「豊臣家の人々」・中公文庫・p181)・・・・・・なのである。側室の高貴好みについては前に書いた。今度は養子、猶子についてだが、どれもが政略結婚のようだ。
〇(結城)秀康:1574〜1607。家康の次男で、母親は家康の側室・於万の方。
〇秀俊(小早川秀秋):1582〜1602。
〇秀勝:1569〜1592.秀吉の姉の次男=秀次の弟。
〇豪姫:1574〜1634.前田利家の四女。宇喜多秀家の正室。
〇菊姫:1578〜1584.前田利家の六女。
〇竹林院:?〜1649。大谷吉継の娘。1594年頃、秀吉の上意によって真田信繁(幸村)の正室となる。(幸村は真田家の人質として秀吉のもとにいた)。
〇江:1573〜1626。浅井長政とお市の方(信長の妹)との三女。はじめ佐治一成、次いで秀勝、三度目が徳川秀忠の正室。
〇小姫:1585〜1591。織田信雄(信長の次男)の長女。徳川秀忠の正室(秀忠12歳、小姫が6歳で婚儀)。
〇糸姫:1571〜1645。蜂須賀正勝の娘。黒田長政の正室。
〇八条宮智仁(としひと)親王:1579〜1629。正親町天皇の孫。
〇近衛前子:1575〜1630。後陽成天皇女御。
つづく。3月3日。


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今週の親仁ギャグ・2020年2月23日(日)〜2月29日(土)

●秀吉(1537年3月17日〜1598年9月18日)の最大の不幸である後継者問題の関係者と出来事について時を追って調査してみましょう。
’々(高台院・北政所・?〜1624・杉原家定の実妹・浅野家養女)が秀吉に嫁ぐ(1561年8月・当時では珍しい恋愛結婚)。
⊇┻箸龍畊渉紘余觧代、秀吉と側室との間に第一子・羽柴秀勝(石松丸)が誕生。しかし1576年11月4日、2歳から6歳で死没。
(小早川)秀秋(1582〜1602・秀吉の正室寧々の兄の5男)が秀吉の養子となる(1585年)。
っ磧(淀殿・信長の末妹、お市の方と小谷城主、浅井長政の長女・1569?〜1615年6月4日)が秀吉の側室となる(1588年頃)。
ッ磧垢箸隆屬膨畩消太(1589年7月9日)
秀吉の天下統一(1590年)
鶴松死没(1591年9月22日)
鶴松の死後、豊臣秀次(甥=秀吉の姉の長男・1568〜1595)が秀吉の養嗣子となり、文禄の役(1592年5月24日〜1593年8月5日)開始前に豊臣家第2代関白となる。
茶々に秀頼誕生(1593年8月29日)
秀秋の小早川家(隆景)への養子縁組成立(秀頼誕生により豊臣家相続候補から外れ、黒田官兵衛=孝高の提案進言)(1594年)
秀次の高野山青巌寺への蟄居、そして切腹(1595年8月20日)
秀吉死没(1598年9月18日)
小早川秀秋、関ケ原の戦い(慶長5年9月15日=1600年10月21日)で家康(東軍)に寝返る。
1602年12月1日、アルコール依存症による内臓疾患で小早川秀秋が死没。
1615年6月4日、大坂夏の陣にて秀頼と茶々が自決(豊臣家完全滅亡)。
1624年10月17日、寧々(高台院)死没。
つづく。2月24日。


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