今日の親仁(オヤジ)ギャグ

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今週の親仁ギャグ・2020年5月31日(日)〜6月6日(土)

犬のお値打ち
▼バブルの頃の繁殖犬のお値段は、文字通りの目の玉が飛び出るくらいのものでした。アメリカンチャンピオンのゴールデンリトリバーなんてのは数千万円でしたから、家一軒の値打ちでした。一回のお産で10頭近い子犬を生みますから、1頭あたり百万円として2回のお産で元が取れる計算になります。歌の文句じゃありませんが、そんな時代も過去の現実にあったのです。

主人先生「二太郎君よ、君はどこで生まれて何処で売られていたか、記憶にあるかい? 5年も前なのでそんなのもう忘却の彼方なんて云わないよな?」

二太郎「おぼろげだけど、東京の地下鉄銀座線の上野寄りの小さなペットショップにいたと思うよ。たしか田原町駅傍だったかな。おいらよりも後から入ってきた子犬が次々に買われていくのに、おいらは3カ月も売れ残っていたもんね。失礼ながら『この犬、まだ売れ残っているよ』とか、『この犬、まだいるけど、犬種はスピッツかね、まさかパピヨンには見えないけどね』・・・・・・なんて客は言いたい放題だったからね」

先生主人「そうらしいね、東京にいる知人がペットショップを通るたびに君を見に店にわざわざ入って、『まだいるの?』・・・・・・と悲嘆し、もしかしたら今、先生の家には犬が死に絶えて3年経つからそろそろいいんじゃないかと打診してきたのが君を飼い始める突端だったんだ。その時の君は、毛量が乏しく痩せで見るからに貧相だったな。とてもパピヨンには見えなかったもんね。悪くは現実にはいないけど白黒のスピッツ、良くてスタンダードチワワってとこだったね」

二太郎「そうだったんか。週を数えるに従って、僕の値札は上書きされて5千円ずつ安くなっていったんだけど、どこか欠陥犬と思われたのか、一向に買い手が現れず、悲嘆の毎日だったもんね」

主人先生「つい最近もバブル並みの犬のお値段だがね。たびたび改正される動物愛護法では、販売までの日齢が延長されたり、マイクロチップの装着(3年以内の施行)、そのほかの飼養や管理も厳しくなった分、ブリーダーや販売店の経費負担が増したからね。30万とか40万はざらの相場ということだ」

二太郎「そうか、それからするとおいらの値打ちは最高でも並みのパピヨンの3分の1と云うことか?」

主人先生「落胆するなよ、二太郎君。栴檀は双葉より芳し・・・・・・の犬もまれにいるけど、多くは氏より育ちだからな。元手が少ない分、過剰な馬鹿可愛がりはしないから、問題犬にはならなかっただろう。人間の子育て同様、甘やかしは禁物だからね。でも躾はきっちりやったつもりだよ」

二太郎「おかげさまで病院のスタッフからも可愛がられているから、家人にそれこそ大感謝だけね。今5歳になったばかりだけど、これからもよろしくお願いします。安物買いの大損なんて揶揄されないように良い子でいますから」

主人先生「石も磨けば玉となって光るってことか。いかんいかん、これも犬馬鹿じゃな。これからも即(つ)かず離れずのペットディスタンスで行くからな、よろしく」

(完) 6月2日。


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今週の親仁ギャグ・2020年4月26日(日)〜5月16日(土)

●いやはやコロナ騒動でも月日の過ぎるのは、当たり前ですが常に同じです・・・・・・が、コロナ後の時間経過の感覚は”ゆるり”であります。ニシタチにも通勤不可ですし、野球中継も視れないし、好きな高校野球観戦もできません。自然、外的刺激に触れる機会もしこたま減少しており、ブログのネタも尽きているのですが・・・・・・それでもアンテナを張り巡らして情報をキャッチしなくてはなりません。それに私の場合の巣ごもりは、やはり読書です。10年前、1日に100ページ読み進んでいたのが、昨今ではその半分の50ページとペースダウンしましたので、その影響もあってブログの更新が滞っています。TACホームページの最近のアクセス数が増えているのも巣ごもり効果でしょうから、わたしも頑張ってネタ探しのための巷間見聞に努めます。3週間も更新をさぼってしまったことをお詫びします。(それでも全身アルコール消毒だけは欠かさず励行しております・・・・・・呵呵!!)。5月16日。


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今週の親仁ギャグ・2020年4月19日(日)〜4月25日(土)

聖徳太子は紛れもなく百年にひとりの天才でしょう。何が偉いかと云うと、それは国家の屋台骨となる様々な有形無形のものを創造しました。
 日出處天子致書日沒處天子無恙云云」は、隋の「隋書」(倭国伝)に書かれた文章で、倭王(推古天皇)から隋の皇帝煬帝に宛てられた公文書文言である。「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや云々」・・・・・・日出づる処の天子は日本国の推古天皇であり、日没する処の天子とは煬帝と云うことになる。この無礼なる文面に煬帝は激怒したとされますが、隣国・高句麗との険悪な関係を鑑み、怒りを歯噛みしながら押し殺したのでしょう。その隋と高句麗との好もしくない関係をうまく利用したことになります。この天子の公文書をもって大陸に渡ったのが、小野妹子はじめの遣隋使(600年〜614年の間に6回)です。この小野妹子の遣隋使派遣については、日本書記(巻第22)に書かれてあります(推古天皇15年=607年に小野妹子を隋派遣)。
△修譴泙任涼羚(漢民族)はまさに「中華思想」の本家であり、聖徳太子以前の日本を含め周辺諸国の多くが、中国への朝貢を行っていたのですから、いきなり「日出づる処の天子」と名乗られたのですから、中国皇帝(煬帝)の憤怒はいかほどのことだったのでしょうか。
聖徳太子が行った国内の諸改革
冠位十二階の制定(603年):官人の階級
憲法十七条(604年)
史書の編修(620年):「天皇記」「国記」など。
暦法の採用:太陰暦採用(百済の観勒が602年に伝える)。
法隆寺などの大規模寺院建造。
これらすべてが国威の発揚国家意識の高揚のために行われたのです。当時初めて日本に渡来してきた外国の人々は、たとえば法隆寺を見たとき、その威容さにハッと息を呑んだに違いありません。
つづく。4月25日。

●聖徳太子の生年は574年で、推古天皇の摂政に就いたのが593年ですから、摂政就任時の年齢は19歳と云うことになりますか。タッグを組んだ蘇我馬子の生年は不明ですが没年は626年で、聖徳太子の没年が622年ですから、ふたりのヤマト政権支配は30年前後と云うことになりますか。日本の屋台骨の基礎をつくる時間としては十二分にあったということでしょう。つづく。4月25日。

●聖徳太子と法隆寺の承継・・・・・・
J部氏と蘇我氏の対立の原因は、仏教受容の問題と用明天皇死後の皇位継承問題とが絡んでおり、ついには武力衝突のなった。587年、蘇我馬子が物部守屋を滅ぼし、馬子の推す崇峻天皇が即位した。これによって蘇我氏がヤマト政権の政治を掌握することとなった。
い箸海蹐その後、馬子は崇峻天皇と対立し、592年に天皇を暗殺した。そして次に即位したのが推古天皇(卑弥呼を別にすれば、わが国最初の女性天皇)であり、その推古天皇は甥の厩戸皇子(厩戸王=聖徳太子)を摂政とし、聖徳太子に政治を行わせた。結果、聖徳太子と蘇我馬子とが協調して国政改革にあたり、天皇中心の国家形成をめざした。
つづく。4月20日。


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