今日の親仁(オヤジ)ギャグ

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3月3日(火)-ペット相談・番組タイトル名の再度変更で「ペット・ラジオ相談室」となる-

 ラジオペット講座の番組タイトル名である「聴く点滴」を担当者に連絡したところ、「番組の考査上、NGです」、との回答が返ってきた。理由は「親仁ギャグ」が災いしたらしく、ラジオではリスナーが「聴く」を「効く」と勘違いする可能性があり、有らぬ誤解を招き得る、とのことである。またもや、はたと困ったことであるが、思案の挙句、「ペット・ラジオ診察室」に収めた。


固定リンク | 2009年03月02日【20】

2月28日(土)-たばる先生の「聴く点滴」 or 「効く点滴」-

 今日で2月も終わりで、「2月逃げ月、3月さらさら・・・」という感じです。「三寒四温」は死語なのか、このところ毎日暖かい日が続いています。数日前の東京は降雪でしたが、ここ宮崎は、今年も雪を見ずに終わりそうです。15年前くらいまで、大学の2次試験のころの霙や雪はそう珍しいものではありませんでしたが、このままだと行く末が恐ろしく思えます。
 小生は切羽詰らないと、慌てない性分で、4月2日から始まるMRTラジオの番組タイトル名がなかなか思いつかず、決められない状況でした。そしてその締め切りである2月末日を迎えました。いろいろと考え倦(あぐ)んだ結果、「聴く点滴」に決定した次第です。医療でも獣医療でも「点滴」の威力には敬服する限りです。犬・猫の病気に対して「点滴」のように効果抜群の内容になるように、とのネーミングです。親仁ギャグ的には、「聴く点滴」=「効く点滴」でしょうか。


 前回の「ペット相談」よりも一歩も二歩も突っ込んだ番組にしようと意気込んでいます。担当の戸高洋子アナウンサーには極力迷惑をかけぬよう配慮する所存です。何卒、御拝聴の程を宜しくお願い致します。



固定リンク | 2009年02月28日【17】

2月25日(水)-「朦朧体」と「偉大な日本人画家たち」-

 ローマでの「朦朧会見」とヴァチカンでの「破廉恥見学」。小生も、限りなく「朦朧」に近い、無類の「しょうちゅうくれ」だが、もちろん、「国の恥」や「国益損失」に匹敵するほどの「悪態」を吐(つ)いた記憶はない。
 「意識朦朧」とは時に聞く言葉であるが、「朦朧」を広辞苑で字引くと「,ぼろなさま。かすんで暗いさま。∧事の不分明なさま。0媼韻確かでないさま。」とある。○川○一大臣の会見は、風邪薬とソムリエ級の財務省随行員が厳選したワインとの相乗作用で、「意識が確かでなく、会談の内容も碌(ろく)に理解も出来ず、会見会場の記者の顔も霞んで」、見えなかったのである。
 「朦朧体」とは、「詩文・絵画などで、明確な意義・輪郭などを有しないもの」(広辞苑)である。1906年(明治39年)、岡倉天心(1862-1913)率いる「日本美術院絵画部」は茨城県五浦(いづら)にて活動を開始した。天心は、4人の弟子の横山大観(1868-1958)、菱田春草(1874-1911)、下山観山(1873-1930)、木村武山(1876-1942)に「雨が降っている状況を点や線でない技法で描けないか」という問題を投げかけた。そこで試みられ、出た答えが、没線描法の「朦朧体」である。薄い墨汁を刷毛(はけ)筆で引いて拡げる手法である。「朦朧体」で描かれた降雨は、ある時は時雨であり、または豪雨でもある。大観の「雨脚が白く染めた(康成の「伊豆の踊子」を拝借)富士の高嶺をV字飛行する雁の群れ」は圧巻である。小生の所望は、川合玉堂(1873-1957)の「谷間(たにあい)の民家の辺(ほとり)にある大きめの水車が時雨に煙っている風景」であるが・・・・・。
 「朦朧体」は泥酔して呂律(ろれつ)が回らない状態の「身体」を言うのではない。「あらゆる大局的な観点から世界を見る」というのが横山大観の雅号の由来である。ヴァチカンの博物館観覧もよろしいが、日本の巨匠・大観の作品を前に正座して、「大観」してもらわねばならない。

固定リンク | 2009年02月25日【15】

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