今日の親仁(オヤジ)ギャグ

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6月26日(金)-ロートル・ベルの特発性前庭疾患-

 6月23日の朝方4時半のこと。真っ暗がりの中、山妻が枕元に突如現れ「ベルが前庭になった・・・・・」と、騒ぎ立てた。
 前庭とは「犬の特発性前庭疾患」のことで、月に2〜3頭が来院する。「特発性」と言うだけあって、原因不明で、ある時突然発症する、中・高齢犬の病気である。人の「メニエール症候群」に似る。末梢性と中枢性に分類されており、前者は内耳の受容器(半規管、卵形嚢)と脳幹の前庭核までの前庭神経の異常で起こる。後者は、前庭核と前庭小脳(片葉小節葉)、そしてその両者を連絡する関連神経経路の異常である。症状は、運動失調・眼振・斜視・斜頚・嘔吐・回転歩行で、程度の差こそあれ、これらの症状は全て同時に見られるのが普通である。末梢性の場合は水平眼振が、中枢性では垂直眼振が起こるため、両者の鑑別が可能である。
 我が家の愛犬ベルは、前夜まで普段の様子と変わらず、明け方いつもの如く庭先で用を足した直後、玄関で突然に転げ回りだしたという。右に旋回し、右に斜頚、もちろん眼振も有りだ。20年も獣医に連れ添った者なら、愚妻でも「前庭だー」と判断できる。ただ最近では、小脳梗塞や脳内出血の症例も報告されており、小脳の異常であれば垂直眼振が見られる。寝ぼけ眼(まなこ)であるが、ベルは幸運にも間違いなしの水平眼振である。
 朝の4時半にステロイドなどを注射し、転げ回るため点滴は皮下に行う。この疾患の症状は24時間でピークを迎えるが、ベルの場合、午前8時には半分程度に軽減した。翌24日、わずかに眼振が残る程度にまで回復したが、腎不全を回避するため、自宅部屋で10時間静脈内点滴をする。動き回ることもなく、病人そのものだ。その間、補助を必要とするも排尿を3回、大したものだ。25日には5割方回復し、食欲も出てきた。
 ベルは来月の7月7日が誕生日で、満の16歳になる。16年前、病院の前に捨てられていた雑種4頭のうちの1頭である。臍の緒が付いており、生後1〜2日しか経っていなかったので、縁起の良い日を勝手に選んだ。16年間、家族と寝食を共にし、4歳の時、帝王切開をした以外は至って頑健な犬である。今日は26日、発症から3日が過ぎた。華の金曜日、午前様の酔っちくろいの主(あるじ)を玄関で迎えてくれるベルの姿が、きっと在るだろう。




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6月25日(木)-今、本郷北方がアツい・「煙(けむ)に巻かない名店」-

 赤江中学校から南消防署の間は、宮崎市内で開発から最も見放された地域だ。開業してからの15年間、ショッピング・モールなど幾たびか開発の話がもち上がったものの、自然と消滅。月見ヶ丘、希望ヶ丘、まなびの、ちょいと遠方だが学園木花台というマンモス(?)団地群に囲まれていながらの未開地。
 ところが、去年から雲行きが変わり、風向きが上昇気流に転じ、陽当たりが好くなった。本部は福岡だが大阪の地名の鉄板焼「○○○」。○は回るかも知れぬが鮨をほうばるか分からない「○○○」。燃料や素材の原価が下がったからなのか最近期間限定の500円を打ち出したプレハブ建てなのに何故か「○○○」という麺屋。丁寧に焼いているのにもかかわらず何故かしら「○○○○」な地鶏屋。
 そしてこの6月、「煙も味のうち」という、謳(うた)い文句でニシタチより進出してきた宮崎ホルモンの老舗「○○○」。「煙も味のうち」、この殺し文句が集客の「つぼ」や、と言わんばかりの繁盛ぶりである。どの店もけっこうの客だ。夜の街の人通りが減るのも分かる。郊外住民パワーを見せ付けた感じだ。郊外は、安価で、家庭的で、子供から年配者まで配慮したメニューを豊富に揃え、そして驕らない、隠れた「名店」がある。名ばかりの「街みせ」で、3年もメニューが変わらない、客の好みを理解しようとしない、料理に対するわがままを無視する、「お客様は神様です」なんぞどこ吹く風と言わんばかりの処は、誰も行かない。「郊外の名店」探しも悪くないと感ずる、昨今の「居酒屋放浪」事情である。
 特に「つぼや」は小生が高校生の時からお世話になった「街みせの名店」である。脱・メタボの現況にあって、そうそうは足を運べないが、開店からの2週間で3回ホルモンを頂いた。もう数件、できればちょいと気の利いた総合居酒屋か和食店が、あればいい。「本郷スクエア」の誕生を応援したい。それこそ、これが「つぼ」やと、焼酎食れを唸らせるような店が、本郷に現れることを期待したい。

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6月23日(火)-シンコ(新子)信仰-

 「身銭で通える銀座の鮨屋。小はだのうまさは天下一品でしょう。【銀座 新富寿し】」は池波正太郎のただ一人の弟子である佐藤隆介(1936-)氏が2年前に書いた「池波正太郎の食まんだら」(新潮社)のなかの、いちエッセイである。
 
 先週末から1泊2日で東京に行かせてもらった。若い獣医師衆に留守を任せてのことだ。行きつけの○○寿しが運悪く3日連休で、思案の挙句、正太郎先生(1923-1990)の一節を思い起した。

 「なあ、佐藤くん。東京へ帰ったら一番先に食べたいものは何だい」「そりゃ鮨ですね。ああ、たべたいなあ・・・・・」「やっぱりトロか」「いえ、私は何より小はだです」「わかった。帰ったらさっそく小はだを食いに行こうや」(池波正太郎【むかしの味】)
 
 それはバリ島から帰る機内での会話でした。その約束がすぐ実現して、お供した先が「銀座 新富寿し」です。先生にとっては戦前の株屋の小僧時代からの「行きつけの鮨屋」ですね。エッセイ「むかしの味」に新富が出てきます。(佐藤隆介【池波正太郎の食まんだら】)

 東京も、もちろん梅雨なので、土曜の夕暮れ時とはいかぬが、6時ころに「銀座 新富寿し」の暖簾をくぐらせてもらった。店内は細長い直のカウンターで、はじめちょっと「睨(にら)み合い」と思(おぼ)しき雰囲気が漂ったものの、大将の「飲み物は何でしょう」の一声で緊張は解(ほぐ)れ、いざ鎌倉で戦闘態勢は整った。先ずはビール。刺身はお任せで、鯛の昆布締め、鱸、青柳とその(バカガイ)のヒモ、好みでキスの昆布締め、煮蛸、コハダを戴き、先制攻撃は無事の任務完了か。第二次攻撃は、正太郎先生のお教えに従い、早々の握りに突入。好みで、先ずはコハダ2貫。次いで〆鯖、真(平子)鰯、北海道産ウニ、郡上(岐阜)の天然小鮎、子持ヤリ烏賊印籠づめ、河童巻、干瓢巻(テッポウ)、そして〆はコハダ2貫。その間、小生としては控えめながら、温燗2本と麦焼酎(大分・二階堂)を2本頂戴致し候。「一見」でこれ以上は不味いと思いながらも、得意の、酔いに任せての「第3派」を強行。

 現在、後出の故・神山幸治郎氏の孫である3代目が切盛りしているが、その3代目の大将にぶっつけてみた。「大正の初め、新橋にて富太郎が新橋の新と富太郎の富を取り新橋鮨として創業。後その弟が銀座5丁目あづま通りに昭和2年に出店なので、新富寿しは80年以上の歴史がある」こと、「正太郎先生はよく見えたが、鮨を大食いすることはなく、割と早めに切上げた。他にもいろいろと行くところがあった」とのこと、「佐藤氏は今もよく通われる」ことなどを、嫌顔せずに語ってくれた。

 まだ少年のように若くて、株式仲買店ではたらいていたころ、私はよく、この店へ来たものだった。先年、八十四歳で亡くなった先代のあるじ・神山幸治郎さんが四十をこえたばかりだったろう。ちょっと怖い人で、なまいきざかりの私が、くわえ楊枝か何かで出て行きかけたら、「若いうちに、そんな見っともないまねをしてはいけませんよ」と、いってくれたことがある。この人にかぎらず、さまざまな場所で、さまざまな人たちが、若い者をいろいろと教えてくれた時代なのだ。・・・・・(池波正太郎【むかしの味】)

 3代目に楊枝の話をすると、「あー、それは初代で私の祖父ですね・・・」と応えた。3代目も随分と初代に仕込まれたのだなと、察した。

 最後に「シンコ(新子)とコイカ(=コウイカ(スミイカ)の小さいもの)はもうそろそろ時季ですかねぇ」と尋ねると、「シンコは今日初めて魚河岸に出てましたが、グッピーみたいでしたね。これだと味はありません。7月に入れば味が出てきます。コイカも後れずでしょう」との応えであった。
 
 小生はコハダのない鮨屋は鮨屋でないと真剣に思っている人種の一人である。今回も「新富寿し」の天下一品コハダに巡り合わせてもらった。正太郎先生に敬服である。そして、その技の踏襲と信念の貫徹に対しても感服の至りである。魚河岸に毎日のように通い、80年もの間変わらぬ味を貫くことは、至難の至難の至難の業である。勘定は銀座の一流鮨店のほぼ半分であった。仕事の質・量を比べても、宮崎での一流、いや二流鮨店よりは格段の割安感だ。諸々の面から、小生の、鮨に飢えた胃袋と脳味噌は、文句なしの満腹であった。

(シンコは4〜5cmで1匹が3gと小さい、7〜10cmはコハダ、12〜13cmはなかずみ、15cm以上をコノシロという。「煮ても、焼いても、ましてや生では食えない」、このぉー代(?)物であるが、塩と酢で〆ると絶品に変身する。「コハダの仕事ぶりで、どんなすし屋かわかる」と、言われる鮨屋たるもの、常に挑戦し続けなけらばならない好敵手なのである。)

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