今日の親仁(オヤジ)ギャグ

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2月9日(月)-「割り箸」と「日本文化」-

 「割り箸」は、江戸時代(18世紀はじめころ?)に日本人が発明した代物である。中国でも韓国でもない。小生は麺類がことのほか好きときているから、週に1度か2度はラーメン店かうどん屋にお世話になる。昼に蕎麦を湯掻いて胃に掻き込むこともしばしばである。
 昨日の昼どき、家族で宮崎の老舗うどん屋「○○うどん」に久々に出かけた。饂飩や蕎麦は、真打がやるように「ズルーつ、ズルーつ・・・」と3〜4本の饂飩を箸で摘み上げ、フーッと息を吹きかけて、勢いよく一気に食道に吸い込ませる。音を忙しなくたてながら食らうのが実に美味い。店内は何時になく静寂が漂っていた。味は、昔ながらのように思えたが、「割り箸」が上等な「プラスチック箸」風の代物に品代わりしていた。饂飩一本すら、容易に摘み上げられない。いわんや、咽喉から胃まで吸い込むなんぞの技は出来ようも無い。
 割り箸の原材料は本来、木材(杉が主)か竹である。中国やシベリアの山林を切り拓き過ぎ、温暖化を助長しているとして、その使用を控えるようになった。「○○○○うどん」は随分と昔から竹箸を洗っている。竹の笊に、山のような箸が、天日乾燥してあるのが眩しい。江戸時代はリサイクルが進んでいたと言われるが、割り箸も一度使ったら、丸く削り直して再利用したという。
 家庭では食えない「外食の味」を堪能し、僅かでも幸せを感じようと思っているのだが、「プラスチック箸」ばかりは、頂けない。饂飩を摘むことに気が回り、喉越しヨロシク吸い込むことに集中できない。これでは、美味い麺も面食らいである。やっぱり麺は、ズルズルと忙しなく一気に食道に放り込んでやらないと、美味さは「半分じゃん麺」になる。
 江戸の、とある蕎麦屋。大火の直後、出稼ぎではじめて江戸に出てきた田舎の次男坊。蕎麦を食おうとしたが、いつもの箸がない。「割り箸」2つで食おうとすると、周りからの失笑。この田舎者、割り箸が割(さ)いて使うものと知らなかったのである。
 「割り箸」には立派な文化がある。多少高くなっても、やはり割り箸でないと、不機嫌になる。杉の間伐材を使った日本製の割り箸でいいではないか。うどん屋や蕎麦屋は「マイ割り箸持ちこみ歓迎」であってもらわないと、足が遠のく。「割り箸」も洗えば、我に限っては何度か利用できる。「割り箸」を「悪(ワリ)ィー箸」扱いしてはならない。





固定リンク | 2009年02月09日【14】

2月4日(水)-「ホッピー」に乾杯-

 夜間病院を開院して、来る5月で丸2年となる。神宮分院を始めた時は、不幸などの特別なことがない限り、1年3ヶ月は休みを取らなかった。夜間では、昨年の11月いっぱいの1年7ヶ月間、月に1〜2日の休みだけであった。新年からは、月6日は休めているから、精神的に楽で、体調もよい。休みが少ないとストレス過剰になり、「ニシタチ」に通う回数も自然と増える。特に夜間診療後の学生アルバイトとの「ホルモン屋」通いは、メタボに拍車をかけた。今年に入り「ダイエット」挑戦中である。1ヶ月で5キロ痩せたから嬉しいではないか。
 「ニシタチ通い」はそう簡単には減らせないが、晩酌は主たるビールから「ホッピー」へ転換している。そこで「ホッピー」について講釈を垂れてみよう。
 愛読書「文芸春秋」・2008年9月号の88ページ、「ホッピー六十年」と題したホッピービバレッジ社長・石渡光一氏のコラムが面白かった。明治20年頃、赤坂で大工をしていた光一氏の祖父に、連隊に納める餅菓子を作ってみないかという話が舞い込み、次男坊で商才がありそうな父・石渡秀氏を指名してやらせた。すると今度は陸軍からラムネを作れと指示され、「秀水舎」という会社を起こした。若干15歳の時だ。東京ではラムネは冬にさっぱりだが、「雪国は暖房も効いているから咽喉が渇くんだよ」と聞くや、野沢(長野県)にも会社を設立した。そこでまたもや、当時流行のはしりであった「ノンビア」を作ってはとの、声がかかった。このノンビア、実は中身がラムネと大差ない。それに工場の近くにはホップ畑が広がっていた。現在の「ホッピー」誕生の大雑把な経緯だそうだ。
 そして時が流れ、終戦の年(1945年)、銀座で進駐軍が飲み捨てたアメリカンビールの空きビンを、自作のカートで拾い集めたのが、当時四年生だった、現社長の光一氏に他ならぬ。当然ながら、きれいに洗浄されたビンには「ホッピー」が詰められた。来年は「秀水舎」創業100周年とのこと。光一氏は社長を退き、三代目女性社長が誕生する。
 「ホッピー」は吉田類が良く好む「下町の大衆アルコール飲料」である。品名は炭酸飲料(ホッピー330)、原材料:麦芽・粉飴・ぶどう糖・スターチ・ホップ・酸味料・調味料(アミノ酸等)、内容量:330ml、アルコール分:0.8%である。気になるカロリーはビールの3〜4分の1の11kcal/100mlで、プリン体ゼロである。またこれが、安いときている。1本105円であるから、「酒税」とは怖ろしい。
 「気が抜けたビール」みたいなので、最初は抵抗があるかもしれないが、ほんのりと酔いがまわるに従い、「とりこ」となる。慣れれば、さっぱり系で肴の味を邪魔することがないから、ケッコウだ。さらにケッコウなことに「ダイエット」にもなるから、ハッピー・エンドとなる。「ホッピーでケッコウ、ハッピー」。くれぐれも、割られる焼酎は25度の甲類であるからして、乙類は決して注(つ)がないように。
 「いつまでも有ると思うな親と金、無いと思うな運と災難」という大阪商人の商売訓がある。「金」が無くても「運」の尽いている時はまさにチャンスというのが、今回もホッピーから学んだ商売訓である。


固定リンク | 2009年02月04日【12】

2月3日(火)-宮本武蔵の「五輪書」を読む-

 「兵法の道、二天一流と号し、数年鍛錬の事、初而書物に顕さんと思ひ、時に寛永二十年十月上旬の比、九州肥後の地岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前にむかひ、生国播磨の武士新免武蔵守藤原の玄信、年つもつて六十。
 我、若年のむかしより兵法の道に心をかけ、十三歳にして初師而勝負をす。其あいて、新当流有馬喜兵衛といふ兵法者に打勝ち、十六歳にして但馬国秋山といふ強力の兵法者に打勝つ。廿一歳にして都へ上り、天下の兵法者にあひ、数度の勝負をけつすといへども、勝利を得ざるといふ事なし。其後国々所々に至り、諸流の兵法者に行合ひ、六十余度迄勝負すといへども、一度も其利をうしなはず。其程、年十三より廿八、九迄の事也。
 我、三十を越へて跡をおもひみるに、兵法至極してかつにはあらず。をのづから道の器用有りて、天理をはなれざる故か。又は他流の兵法、不足なる所にや。・・・・・」。

 これは宮本武蔵(1584?-1645年6月13日)の著で、かの有名な「五輪書」(渡辺一郎校注、岩波書店)の書き出しである。平易な文で読み易いが、要約すると 「武蔵は播磨に生まれ、小さいときから武道に励み、13歳で初めて勝負をし、16歳で強豪に打勝ち、21歳で上京して都でも打勝ち続け、その後も諸国を巡って28か29歳まで決闘をした。その間の勝負数は六十回を超えた。自身には生まれつきの武芸の才能が備わっていたのか、あるいは相手が弱かったのか・・・・・」という内容である。

 あの「直木賞」は直木三十五(1891-1934)の業績を記念し、昭和10年(1935年)に創設されたが、彼の著書に「宮本武蔵」がある。武蔵は宮本無二斎の一子で、幼名を「弁之助」といった。12歳の時、村祭りの太鼓たたきを見て、両方の手でも左右差無く剣が使えるのではないかと考え、実践・鍛錬した。これが「二刀一流」(二天一流)の由縁である。しかし、実際の「決闘」では二刀を使用することは一度もなかった。最初の決闘は13歳で、相手は有馬流の有馬喜兵衛で、城下で「試合望勝手次第可致」と札を立てていたため、それが武蔵の耳に入ったことが発端である。この時代の剣での決闘はほとんどが「真剣」勝負であったが、有馬との試合では、武蔵は「棒をすてると、無手と、喜兵衛に組ついて・・・・・、有馬を頭上へ差し上げると、力任せに、大地へ叩きつけた。」とある。

 佐々木小次郎(1612年5月13日没)こと、佐々木巌(岩)流との船島での決闘では、武蔵は「技量伯仲」とみて、事前に巌流の刀・「備前長船長光」の長さを聞いておき、それよりも長い木刀を作り、かつ時間にかなり遅れて、小次郎をイラつかせたとされる。そして「「この勝負は、わしの勝ちじゃ」と声をかけ 「何と申す」と小次郎が答えると 、「勝つ気なら、鞘は捨てぬぞ」」と心理戦を仕掛けた。

 1640年に細川(忠利)家に客分として入る。「正保二年五月十九日に、熊本城の邸で死んだ。六十二とも、六十四とも云う。鎧をつけさせて、飽田郡五丁手永弓削村へ葬った。武蔵塚として、今に残っているのが、それである。」

 スーパー映画スターで、「ドラゴンシリーズ」のブルース・リー(李小龍、1940-1973)の座右の書は「五輪書」であったと聞いたことがある。「武蔵は天才か」という素朴な疑問。野球のイチローやゴルフの石川遼・・・・・、もって生まれた素質も重要だが、幼少からの「きっかけ付け」と「鍛錬」とが大きく関与していると思われてならない。

 武蔵は1600年の関ヶ原の戦いをはじめ、大阪冬の陣(1614)・夏の陣(1615)や島原の乱(1637-1638)などにも参戦した。「五輪書」でも28歳か29歳が最後の「決闘」とあるので、1612年5月13日の小次郎との戦いが最後となるのであろうか。しかし実際の戦(いくさ)はその後も続いたことになる。多くの決闘や戦に向かった「剣豪・武蔵」のおもいはいかほどのものであったろうか。平和な現在、「100年に一度の世界不況」は「武蔵のおもい」に比べれば、「屁の河童」に違いない。まさに「一億2千万、総奮起」しなければならない。最後に、現代の若き「剣(クラブ)豪・遼」のマスターズでの活躍を祈ろう。



固定リンク | 2009年02月03日【10】

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