今日の親仁(オヤジ)ギャグ

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今週のギャグ親仁・2021年9月26日(日)〜10月2日(土)

●「古墳人
▲現代日本人の遺伝子構成は東アジア由来が約70%を占め、その比率は「古墳人」に極めて近い。日本人の先祖である縄文人の遺伝子は僅かに約15%であり、残りの約15%が弥生人の遺伝子である。東アジアの人々の遺伝子はどこから来たのか。
▲縄文時代の人口は、縄文早期が2万人、縄文中期の最盛期が26万人、縄文晩期は8万人弱まで減少したとされる。何故人口が減ったのか・・・・・・それについては気候変動による生産力低下や動物相への悪影響が考えられている。その状況下で生産性を著しく向上させる稲作が朝鮮半島より伝来し弥生文化が起こった。稲作は紀元前100年頃までには西日本一帯に、紀元後1世紀には東北南部へ、さらに紀元後3世紀には北海道を除く日本列島の全域に拡大した。この定着性と生産性の向上が人口の増加につながった。同時に、稲作には多くの労働力が必要であり人口増加に拍車をかけたことになる。
▲その人口増加に大きな役割を果たしたのが大陸からの渡来人であった。弥生時代初期から奈良時代初期までの1000年間に150万人の渡来があったと推測されている。当然ながら弥生時代の渡来人(北東アジア祖先)は、日本先住の縄文人と交雑し弥生人を生んだ。そして弥生人は、その後に渡来してきた大陸人(東アジア祖先)とも交雑し人口を増やした。その大陸人と弥生人との交雑で誕生したのが「古墳人」ということになる
▲弥生時代の終わりの頃の日本の人口は約60万人、奈良時代初期は約450万人と推定されている。1000年間に150万人が渡来したとされるが、無論それは短期間に一挙に渡って来たのではない。1500000(人)÷1000(年)=1500となり、1年の平均としては1500人が渡来した計算になる。
▲その年間1500という渡来人の数が、弥生時代の60万人を奈良時代初期(古墳時代の終わり)までに7〜8倍の450万人に増やした。そして今の1億2千万人超の数字がある。
▲古墳時代の終わり頃には、既に現代日本人の遺伝子の基本は成立していたということであるが、当然ながら、奈良時代以後も渡来人の遺伝子が交雑することになった。そして「現代日本人」においては、縄文人と北東アジア祖先人の遺伝子比率が減少し、その分だけ東アジア祖先人の遺伝子比率が「古墳人」よりも10%弱程高いのである
つづく。10月1日。

●「古墳人
▲地球上に言葉が出現したのが今から5万年前頃。最初の文字体系が発明されたのは約6千年前漢字紀元前1600年の発明とされる。
▲日本人が日本語を使うようになったのはいつか。その前に日本の時代区分の変遷が激しい。我々が学生の頃まで弥生時代の始まりは紀元前2〜3世紀と記憶しているが、最近になって紀元前4世紀から紀元前8世紀へ遡り、直近では紀元前10世紀まで拡大している。その日本での言葉の発明は弥生時代の中期ごろ(紀元前3〜4世紀)なのだろうか
▲「古墳人」がいつ頃どこから何故どのような手段と目的で日本のどの地域へ渡ってきたのか。記録があればそれで解決するのだが、文字の無かった縄文・弥生・古墳の先史時代に求めることはできない。口承や伝承で受け継いできた日本の歴史を”文字化”したのが「天皇記」であり「国記」であった。これらは現存していないが、写本で伝えられているのが「古事記」であり「日本書紀」である。殊に「日本書紀」は当時から日本の国外に日本の国家としての権威を示すものであったため、公式的な漢字表記となっている。
▲その漢字は、いつ頃日本に伝来したのであろうか。現在の通説によれば、漢字の日本伝来は4世紀後半という。古墳時代が3世紀中ごろ(卑弥呼の時代が終了)から7世紀ごろ(聖徳太子が登場する飛鳥時代の前)の時代区分である。ついでながら「万葉仮名」についてであるが、その名は「万葉集」に拠るが、「万葉集」は奈良時代の末期に編集された和歌集であり、その中で使用されているのが表音文字の「万葉仮名」である。それまで伝承や口承で語り継がれた日本語において、その地名や個人名などについては漢字での表意が不可能であったため当て字的に「万葉仮名」を考え使用したのである。その始めは「天皇記」や「国記」にあったかもしれないが、確かなものは「古事記」である。「古事記」は神話的な意味合いの書物でもあり、国内向けの歴史書であるから、表意の漢文の他に表音の「万葉仮名」が使用されている。
▲これが「文字」の力ということだ。
つづく。9月30日。

●「古墳人
▲全遺伝情報(ゲノム)解析が人類の進化や民族の移動と交雑などの真相に大きな役割を果たしているのは疑いようのないことだ。犬と人間とのゲノムの一致は約80%という。人に近いとされるゴリラと人間の遺伝子は98.25%が、チンパンジーでは98.73%までが同じとされる。
▲現代人のゲノムは全て解読されていると言っていい。ゲノム解析で初めて全ゲノム配列が決定されたのは、1976年のRNAウイルスのバクテリオファージMS212であり、その後1997年末までに大腸菌や枯草菌、シアノバクテリアなど10種類以上の細菌と出芽酵母のゲノムが決定された。そして1990年から2003年までに世界各国が3000億円以上の予算を投じ、約30億塩基対のヒトゲノムを解読したという、歴史がある。
▲上記数字の残りの1.75%〜1.27%の遺伝子が人を人足らしめていることになる。人種や民族などの決定因子でもある。そこで「古墳人」についてである。最後の写真が示すように、現代日本人(本州)の遺伝子には縄文人の遺伝子が十数パーセントしか占めておらず、弥生人にしても縄文人と同等であり、残りの約70%は東アジア人の遺伝子を有している。ここで調べられた個体は、現代日本人を除き古人骨でのゲノム解析であるが、一目瞭然、現代の日本人が縄文人や弥生人の血(遺伝子)を多く受け継いでいるのではなく、弥生時代以降に海外から渡ってきた民族によって交雑が生じたと考えるのが自然である、という結論に至る。穿った見方をすれば、縄文人や弥生人のゲノムが現代日本人のそれとあまりにも違っているため、それ以降の古人骨のゲノム解析を行ったところ、古墳人のゲノムが現代日本人と幸運にも一致したということだろうか。それにしても金沢大学らの発表のデータは、縄文人が9個体、弥生人が2個体、古墳人が3個体であり、n数において多くはない。さらに古墳人は岩出横穴墓の一か所であり、さらなる検証が必要であろう。
つづく。9月28日。

●「古墳人
▲古墳人を勉強し始めて早一週間。古墳奮闘だ。頭の中が混雑絶倒してまとまりがつかない。そこで基本事項について復習してみる。
▲人類と年代、その特徴について
猿人:アフリカに450万年前に誕生。600万年前〜700万年前にチンパンジー・ボノボの祖先と別れた。尾が無く犬歯が縮小し、直立二足歩行を始め、自由になった手を使って簡単な道具(原始的な石器)を使う。アウストラロピテクスが代表。脳容積は約500ml。
原人:約50万年前の北京原人やジャワ原人。を使い始める。打製石器を試用。多人数で共同生活を始め、鳴き声よりも複雑な言葉に発達。脳容積は約1000ml。
旧人:約30万年前に登場。ネアンデルタール人が代表。死者を弔う。7万年前から徐々に減少し、ネアンデルタール人は約3万年前(2万数千年前)に絶滅。ネアンデルタール人と新人のクロマニヨン人との交雑は確実。脳容積は1300ml。
新人(現生人類):約20万年前にアフリカに誕生。脳容積は1500ml。
※新人以外は撲滅したが、それぞれの人類は同時期にこの地球上に生活していたが、友好関係にあったか敵対関係にあったかは不明。
▲言葉と文字
それなりの言葉が誕生したのは、推定する材料(資料)に乏しいことから困難をきわめるが、今から5万年前頃ではないかとの推定がなされている。また文字については、最初の文字体系が発明されたのは紀元前4千年紀後半とされる。漢字については、議論の余地がないのは紀元前1600年の発明とされる。
▲縄文人と縄文時代の差異
縄文時代は、出土した土器(縄文土器)からの命名であり、表面に縄文のあることからその名がつけられた。現在の時代区分では紀元前14000年頃から紀元前1000年頃までをいう。
縄文人は、広義には3万8000年前から2万5000年前にかけて日本列島に移動して来た大陸人で、狭義には縄文時代に日本(北海道〜本土〜沖縄)に居住した人々と解されよう。
つづく。9月26日。


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今週の親仁ギャグ・2021年9月19日(日)〜9月25日(土)

●「古墳人
▲氷河が溶け日本列島が完全に大陸から分離されたのは約1万年前は定説であろう。要するに今の日本列島の海岸線が形成されたということである。1万年は陸続きであり、氷上とは言え大陸からの渡来は、今よりも容易であったかもしれない。事実、約2〜4万年前の新人は凍ったシベリアやベーリング海を渡ってアメリカ大陸へ移動している。
▲私もこの1週間、「古墳人」について孤軍奮闘(古墳奮闘)してきたが、何せネットの情報を纏めるだけの作業なので、なかなか全体像がつかめないでいる。そこで、これからは想像たくましく「古墳人」の成り立ちを考えることにしたい。
▲日本が未だ陸続きであった頃に日本に渡来して住み着いたのが縄文人である。正確には、縄文人よりもかなり古くから人類が居住した気配が石器の発見などで示唆されているようだ。日本の土は酸性であるため、人骨が残りにくいことが不都合の土壌という。ともあれ縄文人(縄文遺跡に居住していた日本人)よりも古くから住んでいたであろう人類は、原人(明石原人・三ケ日原人)ではなく新人(現生人類)であり、言わば縄文人の先祖的な位置づけの考え方が一般的のようである。
▲その縄文人のルーツの人類は何なのかという疑問。
・約20万年前に誕生した現生人類(新人)である。
・その現生人類が約15万年かけて東アジアへ進出した。
・15万年という気の遠くなるような年月の間に、現生人類は多少の遺伝子的進化を遂げたであろうし、知恵もつき、道具なども発達したことは疑いようがない。
現在では、東アジア人の共通祖先は、)姪譽▲献⊃諭↓縄文人、E貽逎▲献⊃佑悗醗篥租変化を遂げたとの解釈である。(縄文人は、古い時期から北東アジア人や東南アジア人とは遺伝子的に孤立した独自の集団であった)。
・つい最近まで、縄文人は、東アジア人の共通祖先そのものが直接渡来して来たのではなく、ある程度の期間(2〜3万年)を経、幾分かの進化を遂げながら日本へ到達したものと考えられていた。(縄文人は形態的に東南アジア人に近いが、DNA分析では北東アジア人に近いという分析結果もあった)。
▲ではその独自の孤立した縄文人は、どのようにして日本に到達したか。
・まだ日本列島が大陸と陸続きであった時期、縄文人は、)務て札襦璽(2万5000年前)、対馬ルート(3万8000年前)、2縄ルート(3万5000年前)の3つの経路で日本に到達したと考えられている。北海道と対馬は陸続きであったが、沖縄へは海路で来たことになる。
つづく。9月25日。

●「古墳人
▲北海道と樺太はいつごろ分離したのだろうか。それは約13000年〜10000万年前という。それまでヴェルム氷河期にあった地球は、今よりも広範囲で氷に覆われ、宗谷海峡の海面も今よりは約100m低かったという。要は、現在の日本列島の地形(海岸線)が形成されたのは、およそ1万年前である。
▲では、日本列島に人類が住むようになったのはいつごろなのだろうか。その前に人類とは何ぞや。人類とは、猿人→原人→旧人→現生人類(新人)の順にそれぞれ進化してきた。
猿人:約400万年〜150万年前に生息した最古の化石人類。アフリカの東部・南部で発見。脳容積は現生人類の3分の1程度で、現生ゴジラと同じくらいだが、骨盤・歯の形状は人類に近く、直立二足歩行をし、きわめて粗末な礫石器を用いた。アウストラロピテクスがその例(三省堂スーパー大辞林)
原人:約150万年前から30万年前に生息した化石人類。握斧(あくふ)などの石器を使用し、火を用いていた。猿人に次ぐ人類進化の第二段階で、旧人の前段階。ピテカントロプス(ジャワ原人)・シナントロプス(北京原人)など(同)。
旧人:約30万年前から3万5千年前に生息した化石人類。猿人・原人に次ぐ人類進化の第三段階で、新人の前段階。ネアンデルタール人に代表される(同)。
新人:化石現生人類。現生のヒトと同種と考えられる化石人類。体格・顔かたち・頭蓋容量も現代人に近い。およそ※3万5千年前に出現し、後期旧石器時代の文化を担った。クロマニヨン人はこれに属する。(同)。
これは広辞林の記載であるが、間違いである。3万5千年前ではなく20万年前である。人類進化の詳細については、遺伝子解析が進むが今もって流動的であるとの証左であろう
▲アフリカで生まれた人類はどのような”かたち”で地球上に拡大していったのか。
・「かつては、アフリカで誕生した猿人が原人に進化し、各地に広がって多様化して集団となり、その地域の人々の祖先となったという『多地域進化説』が主流だった。そのため、東アジア人の祖先は北京原人、オーストラリアのアボリジニの祖先はジャワ原人、ヨーロッパ人の祖先はネアンデルタール人といった具合に、地域的に広がったあとにそれぞれ進化していったと信じられていた。」
・しかし現在は、『アフリカ起源説』が正しいことが判明している。アフリカで誕生した原人は世界各地に広がって、その一部は旧人に進化したが、その後、絶滅した。代わりに生き残ったのは、アフリカに留まっていた旧人集団から進化した新人『ホモ・サピエンス』で、彼らが現在の私たちになったという考えだ。現代の世界の人々は皆、このアフリカで生まれたホモ・サピエンスの子孫ということになる。」
このように、現生人類の祖先はアフリカで旧人から進化した新人(現生人類)というのが定説という。
▲さらに詳しくなると、「アフリカで誕生したホモ・ハイデルベルゲンシスがネアンデルタールと新人サピエンスの最後の共通祖先である。ヨーロッパ大陸でハイデルベルゲンシスからネアンデルタールという固有の系統が誕生する20万年前、アフリカでは現代人の祖先集団、新人サピエンスがやはりハイデルベルゲンシスから生まれる。新人サピエンスは10万年前からアウト・オブ・アフリカと称される移住拡散を繰り返し、ユーラシア大陸各地に移り住み、その一派はヨーロッパ大陸にもおよび、その地に登場するのが新人の代名詞ともなっているクロマニョンである。ヨーロッパで共存することになった入植者クロマニョンと先住民ネアンデルタールとの間にどのような事態が生じたか、結末はクロマニョンの側に軍配が上がり、ネアンデルタールは次第に消滅して行き、絶滅した」。旧人のネアンデルタール人と新人であるクロマニヨン人の交代劇・・・・・・ネアンデルタール人が滅んだのであるが、ネアンデルタール人と新人との交雑は確実にあったとされ、現生人類にネアンデルタール人の遺伝子が継承されているという。
つづく。9月24日。

●「古墳人
▲いまの日本人のルーツはどんな顔をしてどのような体形をしていたのだろうか。誰でも興味のあるところだろう。最近、金沢大学などの国際研究チームがパレオゲノミクス解析を行い、「現代における日本人集団のゲノムが縄文人・弥生人・古墳時代人の3つの祖先集団で構成されていることを世界で初めて明らかにした」とのニュースが飛び込んできた。
▲住人を考える前に、居住地が重要である。日本列島の形成はどのような経過を踏んできたのだろうか。
・数百万年〜4000万年前まで、日本は大陸の一部であった。
・3000万年〜1500万年前に、日本海峡が形成されたが、対馬海峡はユーラシア大陸と陸続きであった。
・250万年(第四紀)前に、対馬海峡が形成された。水深130m程度の浅い海峡に開閉の繰り返しがあった。
・100万年前に、現在の日本の形に近くなったが、北も南もまだ陸続きで、日本海は大きな湖であった。この時期、北の陸続きからはマンモスが、南の陸続きからはナウマン象が渡ってきた。
・数十万年前に、陸続きの日本列島に人間が住み着くようになった。明石原人・葛生原人・三ケ月原人。
・約20万年前(旧石器時代=約200万年前〜1万数千年前の前期=〜10万年前)に、現代型のホモサピエンス(新人=現生人類)がアフリカに誕生。
・15万年前の洪積世(更新世)後期、朝鮮海峡(朝鮮半島と対馬の間)が形成される。
・20000〜12000年前に、氷河が解けて対馬海峡が出現。※日本では新石器時代のことを縄文時代と呼ぶ(13000年前〜)。
・10000年前に、現在の朝鮮半島と日本列島の間がきれて、それまで湖であった日本海が東シナ海と通じた。対馬が完全に島と化した。
つづく。9月22日。


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今週の親仁ギャグ・2021年9月12日(日)〜9月18日(土)

●「マンボウ期間中、ニシタチ方式のマニュアルは作成されているのだろうか
▲宮崎市の「マンボウ」が9月30日まで延期された。あと18日間の我慢だが、それで済むやらどうやら。私の近所でも数軒の居酒屋が夜8時まで暖簾を掛け提灯を吊っている。酒類の提供は御法度なのでノンアルコールかテイクアウトでの営業なのだろう。
▲今日も株が上がった。日本株の割安感と新総裁の経済政策への期待、そして新型コロナワクチンの2回接種が国民の5割を超えたことへの好感と云う。デルタ株の登場がなければ(αとβとγ株で収まっていれば)国民の6割〜7割の接種で集団免疫が獲得できていたかもしれないが、デルタ株でそのレベルは8割から9割へと上昇した、との見解が主流だ。デルタ株はα、β、γ株に比べて増殖が盛んであり、感染者から排泄されるウイルス量が増える結果、感染力が増強し、当然ながら重症化も容易となる。ワクチンの効果は偉大だが、抗体カクテル療法の効果も刮目に値することが証明されている。市場は、コロナ禍後の光明を見出している。
▲さらには使い勝手の良い経口薬が間もなく市販されるというから心強い。塩野義製薬は、3CLプロテアーゼ阻害薬を年内に提供できるとし、ファイザーも「リトナビル」(プロテアーゼ阻害薬)を、メルクも「モルヌピラビル」(ウイルス複製=増殖阻害剤・RNAポリメラーゼ阻害剤)の治験中である。これらは富士フィルム富山化学の「アビガン」と同様な作用機序である。インフルエンザのタミフル(オセルタミビル=糖タンパク酵素であるノイラミニダーゼを阻害することでインフルエンザウイルスの増殖を抑制)に相当する経口薬であり頼もしい限りである。
▲そうは言ってもこれらの経口薬は未だ治験段階であり、実用に能うかどうかはこれからのエビデンスを待たなければならないのは当然である。当面は、ワクチン接種率をさらに高め、重症化の歯止めとして抗体カクテル療法に依存するしかない。そこでわれわれ飲酒愛好家(飲兵衛)の欲望や沈下した経済の復活のためには飲食店の感染防御対策に尽力しなければならない。昨今頓にワイドショーで紹介されているのが「山梨方式」というもので、飲食店が客を入れるにはなんと55項目のチェック項目をクリアしなければならない。無論店ばかりでなくお客に課せられる義務もある。適否をチェックするのは行政である。これをクリアすると「グリーン・ゾーン認証」のステッカーを取得することができる。山梨県のホームページによると、13日の時点で、この認証を有する県内の飲食店は4389軒という。ちなみに2016年の山梨県内の飲食店数は4501軒というから、認証を取得した店は実に97.5%に上るから驚異的な数字である。
▲では、我が宮崎県や宮崎市はどうなんだろうか。県独自の緊急事態宣言中や今の「マンボウ」期間中、山梨のような県レベルでの店側の感染防御対策のマニュアル作成など何らかの対策を講じているのだろうか。マニュアル内容は進化しているのだろうか。”自粛””自粛”の御題目一辺倒で、なんら具体的な行動が示されていないのではないか。マニュアルに沿った店側の対策が強化・整備されない限り、ニシタチの客が戻ることは、簡単には期待できない・・・・・・ですよ、県知事さん、市長さん。次の一手を打つことなく、協力金を税金で賄うことしか考えられないようなら、退場でしょう。
9月14日。


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