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親仁ギャグ

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今日の親仁(オヤジ)ギャグ

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今週の親仁ギャグ・2018年6月10日(日)〜6月16日(土)

●ついでのついでながら、五重塔についても調べてみました。「五重塔(ごじゅうのとう)は、仏塔の形式の一つ。層塔と呼ばれる楼閣形式の仏塔のうち、五重の屋根を持つものを指す。下から(基礎)、(塔身)、(笠)、(請花)、(宝珠)からなるもので、それぞれが5つの世界(五大思想)を示し、仏教的な宇宙観を表している。」(Wikipedia)。国宝の五重塔の所在は、 ̄黒山(山形県鶴岡市、旧滝水寺)、東寺(教王護国寺)(京都府京都市南区)B藐鏤(京都府京都市)、こそ算鎧(京都府木津川市)、ニ[柑(奈良県生駒郡斑鳩町)、Χ淑〇(奈良県奈良市)、Ъ疾源(奈良県宇陀市)、明王院(広島県福山市)、瑠璃光寺(山口県山口市、旧香積寺)、元興寺(奈良県奈良市)、海龍王寺(奈良県奈良市)・・・であります。ちなみに瑠璃光寺は、「陶氏の7代当主陶弘房の死後、弘房の夫人が夫を弔うために文明3年(1471年)建立した。当初は安養寺と呼ばれ、現在の山口市仁保高野にあったが、明応元年(1492年)に瑠璃光寺と改められた。江戸幕府成立後、萩に依った毛利輝元が慶長9年(1604年)に香積寺を萩に引寺したため、跡地に元禄3年(1690年)、仁保瑠璃光寺を移転した。これが現在の瑠璃光寺である。」(Wikipedia)・・・やはり仏塔なのである。善光寺の五重塔は明治の完成にも関わらず重要文化財。6月15日。

●どうでもいいことながら、暇にまかせて、人名が由来の自治体名を調べてみました。何と言ってもその代表は愛知県豊田市でしょう。これはだれでも知っている筈。北から主な自治体を列挙すると、北海道伊達市(明治時代に当地を開拓した伊達邦成より)、福島県相馬市(豪族相馬氏の城下町)、栃木県黒磯市(平安時代に関西の武将、黒館五郎と磯勝光らが当地を開拓)、埼玉県春日部市(平安時代に新田義貞の家臣であった春日部氏より)、東京都立川市、広島県広島市(広島城築城の際に、毛利氏の祖である大江広元の「広」と、豪族である福島元長の「島」をとり、合成)、大分県佐伯市(古代末期から中世期の豪族佐伯氏より)・・・なんぞであります。想像ですがそのほかにも小さな地名までいれれば山ほどあるでしょう。なにせ空海創建の善通寺とその門前町の善通寺市は空海の父の名、善通(よしみち)が由来ですから。6月15日。

善通寺の名の由来は、空海の父の名にある。Wikipediaによれば、空海は「宝亀5年(774年)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれた。父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀大足の娘(あるいは妹)、幼名は真魚。」善通寺は、空海(佐伯真魚)が父・佐伯善通を供養するために創建した真言宗の寺であり、善通寺市はその門前町である。それは、空海の父である郡司の佐伯直田公の別名が「善通」であったから。ついでながら空海は六男一女の次男である。6月14日。


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今週の親仁ギャグ・2018年6月3日(日)〜6月9日(土)

●琴平町観光協会のホームページには、「『さぬきこんぴらさん』で有名な金刀比羅宮は、象頭山の中腹に鎮座し、古来より海の神様、五穀豊穰・大漁祈願・商売繁盛など広範な神様として全国津々浦々より、善男善女の信仰をあつめてまいりました。・・・・・・」とあります。「宮(神社)」だけに祭神は大物主命と崇徳天皇であります。いろいろ調査しましたが、その歴史がしっくりきません。参道口の饂飩屋さんの女性ではありませんが、金刀比羅宮の歴史なんてどうでもよろしいのです。商売繁盛が第一なのです。創建は1001年(社伝)とも・・・否否・・・もっともっと古く大化の改新(645)前とも。(しかしどうも金毘羅だけに「海の神様」であることは確かのようです)。悪しからず。6月9日。

●仏教が公伝(552)した当初、仏は日本の神と同質の存在でした。神も仏もない・・・・・・神と仏は同質であったから、神がなければ仏もなく、仏がなければ神もないのは・・・当然なのであります。奈良時代(710〜784)からは神仏習合の時代が長く続き、神も仏も仲良く共存していたのであります。しかるに明治時代以前は「金毘羅大権現」「金毘羅大将」などと呼ばれていたのですが、明治元年布告の神仏分離令(1868年3月28日)により、神号に権現などの仏教用語を使用する事が禁止され、金毘羅(漢字の音読み)は金刀比羅と改称されたのです。要は「金毘羅」が「金刀比羅」に変わったのです。そうです、金毘羅は梵語のクンビーラ(Kumbhira)を音写したもの。「クンビーラは元はインドのガンジス河に棲むがワニが、神格化したもので仏教の守護神となった。そしてこの金毘羅は薬師如来の十二神将の宮毘羅大将(くだらだいしょう)にあたり、日本に金毘羅神が飛来し、讃岐の象頭山松尾寺の境内に勧請された。起源は不明だが、室町時代後期の元亀4年(1573)の紀年銘をもつ金毘羅堂の棟札が残っており、その頃には金毘羅神が勧請されたらしい。(インターネット引用)」のです。そこで讃岐の象頭山松尾寺ですが、そこは空海の出身だけあって真言宗であります。つづく。6月9日。

●「金刀比羅宮はいつごろから今のような景観になったのですか?」と、金刀比羅宮のから参道口(階段ゼロ段)のすぐ傍に店を構えている饂飩屋さんに訊いてみました・・・・・・。なんをもって金刀比羅宮に参ろうかと思い至ったのは、ただただ有名だからであります。実際、参道口から785段のところにある本宮には到達できませんでしたから。この店には駐車場があって饂飩を食えば駐車場代がタダなのです。竹杖も貸してくれるんでありました。冒頭を訊ねたのも帰りの饂飩をいただいた時のことです。応えは「???どこかに書いてありませんかねぇ〜」でした。若いアルバイト風の女性だったので、ほんとうに知らなかったのでしょう。それならばと帰って調べると・・・・・・先ず首を傾げるのが「金毘羅(こんぴら)」と「宮」の合体です。合体の読み方は「金毘羅宮(こんぴらぐう)」=「ぐう刀比羅宮(ことひらぐう)」です。「金毘羅」は梵語ですから、むろん仏教語です。「宮」は平たく言えば「神社」であります。仏と神が合体しているのであります。つづく。6月8日。


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今週の親仁ギャグ・2018年5月27日(日)〜6月2日(土)

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今週の親仁ギャグ・2018年5月20日(日)〜5月26日(土)

●今月は、待ちに待った「坂本龍馬記念館」を訪問しました。宮崎空港→福岡空港→高知龍馬空港→(レンタカー借) 坂本龍馬記念館」の次は、◆桂浜の龍馬像」→「坂本龍馬誕生地」→ぁ山内容堂公邸跡」→ァ後藤象二郎誕生地」→Α板垣退助誕生地」→А武市瑞山(半平太)道場跡」→─はりまや橋」→高知市泊→(2日目)(高知自動車道)(讃岐うどんで朝食)→「金毘羅宮(円山応挙障壁画・高橋由一館)」(讃岐うどん土産購入)→(讃岐うどんで昼食)→「善通寺(戒壇巡り)」→「瀬戸大橋遠望」(坂出市)→高松空港(レンタカー返却・四国の焼酎購入)→(羽田へ・東京泊)→(3日目)都内散策→帰宮・・・・・・の順路でした。龍馬記念館はリニューアルのため1年間(2018年4月20日まで)の休館でした。龍馬の真物と複製の書簡を思う存分堪能してきましたつづく。5月23日。

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今週の親仁ギャグ・2018年5月13日(日)〜5月19日(土)

●先週の掲示写真の上段右は九度山真田庵である。高野山に上る中途で立ち寄る。真田庵は、真田昌幸(1547〜1611)とその子・真田幸村(1567〜1615)が関ケ原の戦い後、家康の命によって閑居された場所である。当初は高野山だったらしいが、冬の寒さを凌ぎづらく、麓の九度山で生活した。幸村(信繁)は大坂夏の陣までの14年間、父の昌幸は11年間ここで過ごした。幸村の子・大助(1603?〜1615)もここで生を受けた。真田庵は善名称院という寺院であり、境内には昌幸の墓もある。近くには「九度山・真田ミュージアム」がある。この九度山から高野山までは車で30分。九度山の名称の由来は、高野山に真言宗総本山を開山した空海が九度山にいる母親(慈尊院で生活)に会うために月に9回、この麓までを往復したということから。当時の高野山は女人禁制であったから、空海が山を下りてきて会うしかなかった。つづく。5月14日。

●同じ留学僧でも最澄(伝教大師・767〜822・生まれは滋賀=志加の古市郷であり、出自は「諸藩」=外国系)が国のお抱えであったのに対して、空海(774〜835)は一沙門でしかなかった。しかし空海の父は讃岐国多度郡の豪族で郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀氏(大足)の娘(あるいは妹)であったことから、空海はもしかしたら親の金力とコネで遣唐使のメンバーに入ったのかもしれない。当時は桓武天皇(737〜806)の在位(781〜806)である。遣唐使の目的は唐の文化移入や仏教の経典などを書写して持ち帰るほか、唐からの渡来人を招聘させることにあった。鑑真和尚(688〜763)も5度も渡航に失敗し(失明も)、6度目にようやく渡日に成功し、その生涯を日本で終えたひとりである。鑑真は奈良仏教の荒廃を救う戒律を定めるために聖武天皇(701〜756・在位724〜749)の命によって唐より招かれた高僧であった。これは井上靖の「天平の甍」に詳しいが、この時、命を受けたのが普照(入唐10年目に鑑真に拝謁、754年に鑑真に従って帰国・生没年不詳)と栄叡(〜749・唐で死去)の両僧であった。鑑真と同じ時に日本に帰ろうとしたのが彼の阿倍仲麻呂(717年渡唐・698〜770)であるが、仲麻呂は海難でついに日本へ帰れなかった。しかし仲麻呂は、その優秀な才能からも玄宗帝(685〜762)の寵愛を受け、唐朝の高官として活躍した。仲麻呂は李白(701〜762)や王維(701〜761)らとの交流もあり、むろん絶世の美人・楊貴妃(719〜756)とも会っていたであろう。このように遣唐使の時代、すでに日中両国間の人材交流は深く浸透していたということだ。当時畿内の住人の3割は「諸藩」であり、そうであることが積極的に吏員に採用されたつづく。5月13日。


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