今日の親仁(オヤジ)ギャグ

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今週の親仁ギャグ・2020年3月29日(日)〜4月4日(土)

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今週の親仁ギャグ・2020年3月22日(日)〜3月28日(土)

●ではではこの調査もクライマックスですぞ。なんども繰り返しますが、初代の神武天皇から15代の応神天皇までは神話時代です。存在しなかったか、実在したかしないか明確でない天皇さん達であります。そこで卑弥呼天照大神であった、卑弥呼が天照大神になった(物語のうえでもです)という、蓋然性の高いストーリーが誕生するのであります。そうあったならば、ドラマチックでなんとも嬉しいじゃありませんか。3月27日。

卑弥呼が没したのは242〜248年の7年の間のいつの日かとしましょう。では神功皇后はどうなんでしょうか。Wikipediaを拝借あると、「神功皇后(じんぐうこうごう、成務天皇40年〜神功皇后69年4月17日)は、日本の第14代天皇である仲哀天皇の皇后。『日本書紀』での名は気長足姫尊。仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされるが、その約70年間は天皇不在ということになる(在位:神功皇后元年10月2日〜神功皇后69年4月17日)。」・・・・・・とありますから、仲哀天皇(192〜200と応神天皇(270〜310)のあいだの天皇不在期間の70年ということです。神武天皇の比ではないですが、かなりの長寿者です。これ(天皇神武天皇から15代天皇までの神話時代)はあくまでも相当な想像力豊かな創作作家(紫式部に手塚治虫に松本清張に宮崎駿に夢枕獏に、そしてSF作家の小松左京さんらの集合体のようなものでしょうか)の夢ものだたりですから、真剣に頭を使ってはなりません。卑弥呼=天照大神に至っては況やであります。(ここからは真剣なアプローチですが)卑弥呼の墓とされる箸墓古墳は考古学(科学)的考証においてもその可能性が指摘されています。箸墓古墳は我が国最古の古墳で、それはそれは畏れ多い貴人の陵墓に違いありません。西暦紀元後の少なくとも242年まで生存していた卑弥呼と、200年から270年の70年という長期ではないにしろその間に存在し権力を欲しいままにした神功皇后(実質の女皇帝)が同一人物であった可能性(希望)は捨てがたいものです。つづく。3月27日。

●歴代天皇の西暦を調査しなければ、卑弥呼=天照大神=神功皇后の説の真偽が不明であります(少々疲れてきましたが、あと一息で完了するでしょう)。古事記と日本書紀による皇紀は、誰がどのようにして西暦に当てはめたか知りかねますが、ちゃんとすりかえてあります。
▼縄文時代の天皇(皇紀元年=紀元前660年〜)
神武天皇BC660.01.01〜585.03.11・綏靖天皇BC581〜581・安寧天皇549〜511・懿徳天皇510〜477・・孝昭天皇475〜393・孝安天皇392〜291
▼弥生時代の天皇
孝霊天皇290〜215・孝元天皇214〜158・開化天皇158〜98・・崇神天皇97〜30・垂仁天皇BC29〜AD70・景行天皇AD71〜130・成務天皇131〜190・仲哀天皇192〜200・応神天皇270〜310
▼古墳時代の天皇
仁徳天皇313〜399履中天皇400〜405反正天皇406〜410允恭天皇412〜453安康天皇453〜456雄略天皇456〜479・清寧天皇480〜484・顕宗天皇485〜487・仁賢天皇488〜498・武烈天皇498〜506・継体天皇507〜531・安閑天皇531〜535・宣化天皇535〜539・欽明天皇539〜571・敏達天皇572〜585・用明天皇585〜585・崇峻天皇585〜587
▼飛鳥時代の始まりは推古天皇(592〜628・聖徳太子が摂政)から
黒太は「倭の五王
つづく。3月27日。

邪馬台国卑弥呼から飛鳥時代の始まりである聖徳太子まで。
▼「旧百余国・・・・・・今、使訳通ずる所三十国」(『魏志』倭人伝)・・・・・・30余の小国を従えた卑弥呼。239(景初3)年以後、しばしば魏(220〜265)に朝貢・「親魏倭王」の称号を授かった卑弥呼。卑弥呼は邪馬台国の支配者だった。その卑弥呼が没したのが242年〜248年とされる。
▼倭の五王(讃・珍・済・興・武)・・・・・・讃には応神天皇(15代・実在したとすれば4世紀後半)・仁徳天皇(16代・4世紀末〜5世紀前半)・履中天皇(17代・5世紀前半)説、珍には仁徳天皇・反正天皇(18代・5世紀前半)説、済は允恭天皇(19代・5世紀前半)、興は安康天皇(20代)、武は雄略天皇(21代)とする説・・・・・・の五王である。
聖徳太子は、574年に誕生し622年に没する。推古天皇(554〜628)は、第33代天皇で、その在位は593〜628年
つづく。3月26日。

●日本の歴史区分を見てみよう(Wikipedia)。旧石器時代(〜紀元前14000年頃)→縄文時代(前14000年頃〜前10世紀〜)→弥生時代(前4世紀〜後3世紀中頃)古墳時代(3世紀中頃〜7世紀頃)飛鳥時代(592年〜710年)→奈良時代(710年〜 794年)→平安時代(794年〜1185年)→王朝国家(10世紀初頭〜12世紀後期)→平氏政権(1167年〜1185年)→鎌倉時代(1185年〜1333年)→建武の新政(1333年〜1336年)→室町時代(1336年〜1573年)→南北朝時代(1336年〜1392年)→戦国時代(1467年または1493年〜1590年)→安土桃山時代(1573年〜1603年)→江戸時代(1603年〜1868年)→鎖国(1639年〜1854年)→幕末(1853年〜1868年)→明治時(1868年〜1912年)→大正時代(1912年〜1926年)→昭和時代(1926年〜1989年)→GHQ占領下(1945年〜1952年)→平成時代(1989年〜2019年)→令和時代(2019年〜)   
今月の旅」の相当時代は大和政権から飛鳥時代に当たる。むろん時代区分は後世の人が命名したものである。6世紀にはいると大和政権の動揺は深刻さを増し、それは推古天皇の登場でしばし安定した。592年に蘇我馬子が対立した崇峻天皇を暗殺し、次いで推古天皇(卑弥呼を別にすれば最初の女性天皇)が即位、593年に推古天皇の甥である聖徳太子(厩戸皇子)を摂政として政治を行わせた。この592年から飛鳥時代が始まり、710年の奈良遷都(平城京)まで続いた。つづく。3月26日。

●さてさてそういうことで日本の古代の国ぶりは、遺跡やその発掘品、そして中国の書物に頼らざるをえないのです。それでは文字の無かった時代の我が国の様子を、大雑把にまとめてみましょう。(「理解しやすい日本史B」・文英堂・高校の参考書)
縄文時代(新石器時代)

弥生時代(水稲耕作・金属器)

紀元前後(弥生時代中期):小国(小盆地程度を単位とする政治権力)の発生・「朝鮮の楽浪郡の海のかなたに倭人(日本人)が住み、百余国に分かれていた。そのうちのある国は、定期的に漢に朝貢していた」(『漢書』地理志)

紀元後57年:倭奴国王が後漢に使者を派遣金印「漢委奴国王」を授かる・「57(建武中元2)年、倭の奴国(なこく)の王が使者を派遣し、光武帝から印と綬(印を身につけるためのひも)を授けられた」(『後漢書』東夷伝)奴国は福岡平野にあったと考えら、金印発見の志賀島はその領域。

107年:倭国王が後漢に朝貢・「107(永初元)年、倭国王の帥升(すいしょう)らが生口(せいこう=奴)160人を安帝に献上した」(『後漢書』東夷伝)

2世故後半:倭国の大乱あり(『後漢書』東夷伝)

3世紀の卑弥呼の登場:(=邪馬台国連合の形成)邪馬台国が30余の小国を従わせる=地域的統合の進展・「旧百余国・・・・・・今、使訳通ずる所三十国」(『魏志』倭人伝)

卑弥呼の統治:「鬼道を事とし、能く衆を惑わす」・呪術的な司祭者(シャーマン、巫女)としての権威で統治・卑弥呼は朝鮮半島の帯方郡を通じて239(景初3)以後しばしば魏(220〜265)に朝貢・「親魏倭王」の称号や金印紫綬、銅鏡100枚などを授かる

4世紀半ば:中部地方以西の主要な地域が大和の大王のもとに服従→「ヤマト政権」の成立 ヤマト政権は大和を中心とする畿内豪族の政治連合体であり、その首長を「王」(国際的には倭王)としたが、国内的には大王(だいおう、おおきみ=のちに天皇と称す)とよんだ。

5世紀:倭の五王(讃・珍・済・興・武)が出現

つづく。3月26日。

●20万年前にアフリカで誕生した今のヒトの共通祖先である新人が東アジアに到達したのが約4〜5万年前であり、その東アジア人の一派が日本列島に住み始めたとされるのが約3万年前で、これが縄文人である。言わずもがな縄文人は日本人の祖先である。縄文人は、朝鮮半島や台湾などから、そして当時陸続きであった宗谷海峡から到達し、そして沖縄から北海道まで幅広く住み着いた。彼らは狩猟民族であったため、日本全土にその生活の痕跡を遺している。しかし残念ながら当時の縄文人にも、それからも文字を持たなかった。日本人が独自の文字を使うようになったのは5世紀にようやく現れた万葉仮名まで遡る。しかるに古代の日本人の政治や生活ぶりは謎に包まれているのである。稲作が九州北部から全国(北海道や東北の一部を除く)へ拡大していくに出来上がったのが「日本語」である。「紀元前3世紀ごろだろう」と、司馬さんは書いている(「街道をゆく38・オホーツク街道」p14他・朝日文庫)。つづく。3月26日。

邪馬台国の所在は何処だったのか。古代史の大きなミステリーである。卑弥呼なる人物の存在は中国の「魏志倭人伝」により、ほぼ確実であろう。今回の「今月の旅」は、その卑弥呼の墓ともされる「箸墓古墳」がメインであった。その卑弥呼の素性はいかなるものであったのか。諸説ある中で小生の興味は、卑弥呼が天照大神と同一人物ではないかというものである。天照大神は初代・神武天皇から数えて5代前の、日本皇室の祖神である。もう一つの興味は、卑弥呼が神功皇后であったのではないかという説である。神功皇后は、第14代仲哀天皇(日本武尊=倭建令の子で第12代景行天皇の皇子)の皇后であり、実在した可能性が高い人物とされている。ということは、卑弥呼は神功皇后であり、天照大神であるかもしれないということである。歴代の天皇は15代までが神話時代とされ、実在は第16代天皇の仁徳天皇からとされる。仁徳天皇の父は第15代応神天皇であり、その応神天皇の母親が神功皇后なのである。すなわち仁徳天皇の祖母が神功皇后となる。卑弥呼が誰であったか・・・・・・彼の本居宣長は、実在の神功皇后を偽称するもう一人の卑弥呼が存在したとの「熊襲の女酋長」説を唱えた。これは卑弥呼が熊襲(今の鹿児島県)の出身としており、乱暴すぎる説かもしれないが、誰もみていないのであながち否定もできないが・・・???。つづく。3月25日。


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今週の親仁ギャグ・2020年3月15日(日)〜3月21日(土)

●なにせ日本の神様は新しい物好きである。先の大嘗祭でもわざわざと大枚を使って皇位継承を行った(まだ関連行事は残されているが)。その費用たるや総額で166億円であり、大嘗祭だけでも27億1900万円(平成天皇の時は22億4900万円)。そのなかでも大嘗宮の設営だけで約24億円というから驚きだ。なぜなら用が済めば取り壊すのであるから。先週示した日本国の「」の変遷にははたまた驚き桃の木山椒の木であるが、これも神様の”新し物(もん)好き”に尽きるというものだろう。つづく。3月19日。

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