院長コラム

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今週のつぶやき親仁・2019年11月3日(日)〜11月9日(土)

●ついでながら私の生まれた昭和34年(1959)の干支は己亥(つちのとい・きがい)ですが、どうでしょうか・・・・・・孔子様は何年の生まれなのでしょうか。簡単ですから調べてみました。孔子様は紀元前552年生まれで、酉年です。干支は己酉(つちのととり・きゆう)。没年は紀元前479年ですから、73歳まで生きました。当時としては極めて長寿だったのでしょう。(70歳まで生きることは)「古来より稀なり」が「古稀」の語源でありますが、残念ながらこれは孔子様に関係なく、唐の詩人、杜甫の「人生七十古来稀」(曲江詩)に由来するのだそうな。ところで干支はいつごろから使用されるようになったのか・・・・・・それは孔子様よりもさらにさらに昔の「」(いん・紀元前17世紀頃〜紀元前1046)の時代まで遡るそうです。中国悠久の知恵のひとつでしょうか。最後に、「古稀」発案の杜甫(712〜770)は70に遠く及ばない58歳の生涯でした。11月8日。

●わたしも全国の約152万人の同級生のひとりとして先月、還暦を迎えました。信長の愛した「敦盛」の「人生五十年・・・・・・」と同格に有名なのが、(子日)「吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」(孔子「論語」為政)・・・・・・ですな。「六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。」・・・・・・・のですが、だれもが孔子様のようには成長できません。殊に「亥年」生まれにあっては、今なお他人の言うこと(諫言・進言)など何を戯言を・・・・・・ですな。多分、この世を終えるまで「耳順」なんてことはないでしょう。因みに還暦は十干十二支の組合せですが、数学的には120年となりますが、下記のように最小公倍数の60が一回りとなります。「干支の60周期を表した図」を見ると理解できます。
1甲子 2乙丑 3丙寅 4丁卯 5戊辰 6己巳 7庚午 8辛未 9壬申 10癸酉 11甲戌 12乙亥 13丙子 14丁丑 15戊寅 16己卯 17庚辰 18辛巳 19壬午 20癸未 21甲申 22乙酉 23丙戌 24丁亥 25戊子 26己丑 27庚寅 28辛卯29壬辰 30癸巳 31甲午 32乙未 33丙申 34丁酉 35戊戌 36己亥 37庚子 38辛丑 39壬寅 40癸卯 41甲辰 42乙巳 43丙午 44丁未 45戊申 46己酉 47庚戌 48辛亥 49壬子 50癸丑 51甲寅 52乙卯 53丙辰 54丁巳 55戊午 56己未 57庚申 58辛酉 59壬戌 60癸亥つづく。11月8日。


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今週のつぶやき親仁・2019年10月27日(日)〜11月2日(土)

●そしてコースがおわり、会計をすると・・・・・・なんと・・・・・・「わたしがホテルまで車で送ります」と、西さんが言うではありませんか。これまた身分知らずの二人は、固辞したものの、結局は厚意に甘えることに。待つのも束の間、西さん一人が高級外車を店先に横付け、そしてわれわれふたりは、彼のTホテルまで送ってもらったのであります。世の中、こんな夢のような譚が現実にあった・・・・・・という譚でした。今もあの夜のことは鮮明に記憶しているのであります。新聞のままの、またいつでも会えそうな、優しい笑顔を。11月2日。

●わたしの数少ない自慢のひとつ・・・・・・2019年10月28日の宮崎日日新聞の「追想・メモリアル」の欄に「西健一郎」さんが載っていた。むろん亡くなったのは直ぐのニュースで知っていた。かれこれ20年も前のことだ。友人の知る、西さんの店、「京味」を新橋に訪ねた。ふたりとも一見さんだったが、友人が誰の紹介だったのかは、いまは不明。譚というのは、なにの拍子か忘れたが、西さんと絵画の話になったところ、「あなたは詳しそうだから、一枚の絵を見て、いくらぐらいか、教えてもらいたい」という。わたしは当時、西さんがそんな偉い(「和食の神様」)とは知る由もなかったし、酒も回っていたので、知ったかぶりで引き受けたのだ。その絵と言うのは、むろん謂れつきで、西さんが若いころ、梅原龍三郎に鯛を頼まれて自宅に行った折、その魚を捌くまえに「いまからその鯛の絵を描く(デッサンする)から、そこに置いてくれ」」と頼まれ、その絵を貰ったそうだ。その前講釈のすぐあと、2階に消えた西さんがもってきたのが、色紙程のサイズの「」のサインが入った「鯛」のデッサンであった。わはしは身分もわきまえずに、「オークションでも50〜60万は下らないでしょう」と答えたのであった。つづく。11月2日。


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今週のつぶやき親仁・2019年10月20日(日)〜10月26日(土)

●私は今、自分の無能を曝け出して、日本人のルーツを調べている。10月22日は令和天皇の即位式(「即位礼正殿の儀」)で旗日となった。たまたま読んでいる司馬さんの「街道をゆく3」の「肥薩のみち」の「隼人」に、「京都に都が移ってからも、即位のときには隼人たちがのぼってきて、その儀式に参加した。はるかにくだって幕末になってもこの儀式の形式は変らず、即位には隼人が出た。」(朝日文庫p217)。それは「兵つよく馬騰る」(土佐藩主・山内容堂の弁)ことに因る。薩摩の「隼人」のルーツについて、「街道をゆく」では「台湾の高砂族と同系」(西村真次氏の説)とも、「南九州に漂着し、そこに定着して、漁業を生業としていたインドネシア人が隼人であるである」(水野祐氏の説)とも・・・・・・諸説あることを紹介し、水野氏の説に対して司馬さんは、「妥当な結論を出しておられる」と述べている。「薩摩隼人」は偏在的であり、これはこれでまた面白い。ところで伝統の即位の儀式に「隼人」は呼ばれたのであろうか。少々興味があるが、いつかは調査してみるか。私は、22日の旗日にはいつものように「日の丸」を掲げ、それを祝った。10月25日。

●19日に佐賀で開幕した九州高校野球・・・・・・九州各県から、それぞれの県での優勝校と準優勝校が集い、来春の選抜を競う。例年は開催県が3校出場する筈だが、今回は8県16校で競う(いつからそうなったのか)。初日の19日、宮崎日大は鹿児島県優勝の鹿児島実を下し(3対2)たものの、21日の準々決勝は長崎準優勝の創成館に3対4のサヨナラ負けの惜敗。宮崎優勝の富島は20日、熊本準優勝の城北と戦い、これま7対8のサヨナラ負け。今日の城北は鹿児島城西(鹿児島準優勝)に0対8で完敗・・・・・・これで富島の甲子園出場は絶望。準決勝の創成館vs明豊(大分優勝)の結果次第(明豊の大敗)では、宮崎日大に望みがないわけではない。それにもうひとつ・・・・・・九州大会の優勝校が神宮大会でも優勝すれば神宮枠がひとつ増えるのであるから、ほんの少しの可能性はあるということだ。それにしても残念でした。10月21日。


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