院長コラム

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日本は何が「世界一」なのか。

  平成3年9月から平成4年9月までの1年間、アメリカ合衆国ジョージア州アセンズ市の州立ジョージア大学に留学した。台風の接近で宮崎出発が当初の予定より急遽1日早くなり、大慌てで空路福岡へ行き、1泊して翌朝成田へ向かった。嫁さんと1歳11ヶ月の娘との3人旅であった。準備も儘ならぬ状況での出発で、田舎からお袋と兄嫁が清武の官舎に来て準備を手伝い、宮崎空港で見送ってくれた。

  (あの頃は「研究野心」に燃えていた。若かった。近日、留学時の写真掲載の予定。乞う、御期待。)

  アメリカへ行って最初に「オッ、違うぜ」と思ったことは、「アメリカ人は良く働くなー」ということだった。小生の世代は「日本人が世界中で一番の働き者、勤勉者」であると聞かされて育った。日本の大学では、診療のチョッとした合間に教授に話をしに行くと、朝から新聞の広告を見ている人間も居れば、鉢植えの花や盆栽に水をやっている人間、朝見かけたのに午前中で既に帰宅している人間など、一部の教官は様々にサボっていた。一方ジョージア大学の教官・学生は、朝から夕方まで良く働き勉強していた。10時と3時の「お茶」は無い。昼休みは自前のハンバーガーとコーク(コカ・コーラ)をもってセミナー室に行き、食事をしながら若手の研究発表を聴く。年に2、3回は教授自ら専門の最新知見を披露する。さらには学内共同研究者が集いディスカッションする、などなど。

  小生のジョージア大学でのボスは、小生の親父と同い年で、月曜から金曜の午後5時までミッチリ働いていた。自ら犬を使って腎臓の実験をし、論文も書き、後進の指導・養成にも手を抜かない。ウイークデイは6時頃までには帰宅し、スポーツを日課とする。日本みたいに連れ合って「居酒屋徘徊」などはしない。毎週金曜の5時になると、実験棟の各部屋の鍵が「カチャ、カチャ、カチャ、・・・・・」と面白いように連続して閉まる。皆、土曜・日曜の2日間の休みを十二分に満喫するためだ。家族や彼女と小旅行、アメフトや野球観戦に赴く。そして年に2回ほど1〜2週間のバケーションを取る。2ヶ月置きぐらいにボスの家の鍵を渡され、ラブラドール4頭の世話をさせられた。

  学生は8割以上が臨床に進むため、4年生(アメリカの獣医大学は4年制)になるとポリクリでタップリ鍛えられる。小動物の研修では夜中3時ころまで医局や図書館で勉強していた。1日数時間の睡眠しか取れない。日本の獣医大学生とは「天と地」の差だ。小生は体力も有り、ガンバリ屋だと思い込んでいたが、普通以下に見えた。思い込みとは恐ろしい。

  「日本人は挨拶を良くして礼儀正しく、義理堅い」とも聞かされた。本当にそうなんだろうと信じ込んでいた。アメリカではキャンパスや廊下などですれ違うと、面識が無くとも「Hello!」とか「Hi!」という。面識があると「How are you?」、「How are
you doing?」、「What's up?」などと声を掛けてくれた。東洋人(オリエンタル)は小生を見ると、必ず「Where do you come from?」と聞いてきた。アパートでも公園でも割合にこういう調子だった。

  今や日本はどうかというと、この田舎の宮崎でも、通りすがりに会釈や挨拶でもしようものなら、変な目で見られることも往々にしてある。小学生や中学生も変なヒトだといけないから、知らないヒトには挨拶をしない様にと教育されている節もある。

  「日本の教育レベルは世界一」も、疾うの昔の話である。「世界一犯罪の少ない国?」、「世界一安全な国?」、「世界一優秀な警察?」、「世界一国際貢献(金銭面)している国?」、・・・・・「世界一愛国心をもつ国民?」。

  「公務員の能力も世界一、官僚の能力も世界一?」だろうか。私利私欲のために横領や収賄などの罪を犯す公僕が居る国家が世界一ではあるまい。前・防衛省事務次官は接待ゴルフ三昧で、文民の大臣と連絡が取れない。不測の緊急事態が生じていたらどうなっていたのか、想像するだけで鳥肌が立つ。

  国民から預かった年金は、2人に1人という割合で納入記録が不明となっている。元帳は何処へいったのか。アルバイト任せでコンピューター入力を行った。人的ミスは明らかで、我々みたいな雑魚の会社でも考えられないことが、年金が主たる業務の社会保険庁で起こった。たばる動物病院は開業以来、カルテは全部チャンと保管していますぜ。カルテをはじめ重要な書類の扱いは、少なくとも勤務が半年を超えた者にしか任せませんよ。電子化しても年金ほどの重要な元帳を破棄するか?。せめて1〜2世代間は保管して置くのが常識だ。転居・結婚などで煩雑極まりなければ、制度の抜本的見直しや住民基本台帳ネットワークシステムの活用などを検討すべきであろう。社会保険庁の廃止は必然だ。今回のようなことが何度起こるか分からないし、税金がいくらあっても足りない。

  「世界一長寿の国?」。これは「世界一の医療と社会保障(社会福祉)の整った国?」。手放しで喜べない状況に、既に追い込まれている。

  現内閣要人の、「日本は銃所持規制の世界一厳しい国」との発言に失望した。「世界一」であれば、今まで起こらなかったことが発生していいのか、という疑問だ。政治家は自国の民を今以上に安全に幸福にと導くのが使命であろう。今後社会は益々複雑化するであろうが、政治家は万事に関して少なくとも現状維持以上の使命感を持って働いて貰わないと、冗談じゃない・・・・・。怒り心頭に発する。

  「経済は一流、政治は三流」の言葉は死語と化したのか、最近とんと聞かない。「経済は一流、政治は星の流れ、もしくは川の流れ」ではないか。このままの政治が続くならば、経済も近い将来、三流に転落する可能性が高い。政治家の理念・理想だけは一流であるべきだ。皆、希望と誇りの持てる国民でありたいのだ。政治家の責任は国家の全ての物事に於いて重いのだ。肝に銘ぜよ。国連加盟国数も2007年1月1日現在、192カ国である。UFO論議ではないが、正確に精査・確認して「世界一」という言葉を発してもらおう。「井の中の蛙大海を知らず」では政治家の資格なし。「世界一」は重い単語だ。いい加減な場当たりの発言や失言、白紙撤回、謝罪、・・・・・には、それこそいい加減反吐(へど)が出る。政治家は確固たる理念のもと、国民のあらゆる問題の改善のために真の汗を掻いて貰わないと、許せない。


  



固定リンク | 2007年12月21日【23】

「宮崎牛」の将来は本当に大丈夫なのか。

  この度、めでたく「宮崎牛が日本一になった」と、JA宮崎経済連はじめ関係者は大喜びだ。県知事に至っては挨拶の壇上で涙を見せる有様だ。宮日では特別紙面「日本一・宮崎牛」で祝った。元旦の新聞を手に取ったような思いで一瞬驚いた。

  紙面によると「第9回全国和牛能力共進会」が去る10月11日から4日間、鳥取県で開催され、38道府県から約500頭が参加。宮崎は種牛、肉牛の二部門九区分に28頭を出品。うち七区分で優等首席を獲得。もっも優れた種牛と肉牛に贈られる「内閣総理大臣賞」も両部門で受賞した、とのことだ。

 平成17年度の宮崎県の肉用牛(繁殖牛、育成牛、肥育牛の総計)の出荷頭数は総数で7万8800頭で、うち県内が57.6%、県外が42.4%という。同じく子牛の出荷頭数は7万3797頭で、内県が53.4%、県外が46.6%という(2007年度)。県外の出荷先は雌の子牛では1位が三重県、2位が東京、3位が佐賀県、一方の雄子牛は1位が佐賀県、2位が熊本県、3位が岐阜県である(より良き宮崎牛づくり対策協議会・みやざきひむか学ネットHPより引用)。宮崎の肥育素牛が松坂牛や佐賀牛に”化けている”のが分かる。

  「宮崎牛」の定義は・・・?。よく聞く言葉だが、A5、A4等級なるものがそれだ。アルファベットのABCは枝肉(屠畜後、頭や皮、内臓の一部を取り除いた骨付きの状態)の歩留まりを示す等級であり、歩留まり率が62%以上がA、58〜62%がB、58%以下がC級である。アルファベットの後に付く数字は牛脂肪交雑基準(ビーフ・マーブリング・スタンダード、No.1〜No.12の12段階)、牛肉色基準(ビーフ・カラー・スタンダード、肉の色沢、No.1〜No.7の7段階)、牛脂肪色基準(ビーフ・ファット・スタンダード、脂肪の色沢と質、No.1〜No7の7段階)、肉の締まり及びきめ(No.1〜No.5の5段階)の4項目のうち最も低い等級で示す(1〜5の5段階)。Aの5等級が最高級で、次がA4等級の枝肉である。「宮崎牛」はA5が20%、A4が80%で全出荷量の約3%と僅かだ。A3以下は「国産黒毛和種牛肉」となる。

  小生の実家も物心ついた頃から現在まで和牛の繁殖を行っている。中学生の頃は2頭の親牛とその仔が居た。帰宅すると鎌で土手や田んぼの畦の草を刈り、ハミ(牛の餌のこと)を手カッター(後に動力カッターを購入)で切り、肥をたてる(牛舎の掃除)などの牛の世話を、殆ど毎日した。中学3年の卒業式の予行練習では、「家の手伝いを良くした」とのことで全校生徒の前で起立させられた。不意の事で何事かと思ったが、自然と涙した記憶がある。牛は当時生後10ヶ月ほどで競り市に出された。セリの1ヶ月前になると2キロの運動をした。現在中学生が牛を「散歩」させていたら、テレビものだろう。セリの前日は全身シャンプー、当日は朝5時から牛の体をきれいに拭いて、蹄(ツメ)には黒の靴墨を付けて磨いた。そして学校を休んで延岡の家畜市場まで行き、順番がくると牛を牽いて入場し、高値で売れることを祈った。当時は10万円ほどのセリ値が付いたと思う。学校の欠席理由は覚えていない。

  前述したが「宮崎牛」は稀少食材である。黒毛和種の肥育素牛の平均セリ値は、現在50万円を超える。セリ時の体重が約300キロで、それから15〜20ヶ月肥育し、体重が約600キロで屠場行きとなる。肥育牛の生体価格が約80万円であるから、高騰している飼料や燃料、それに手間を考えると「牛肉」は本当は安い。「松阪牛」や「但馬牛」、「前沢牛」、「米沢牛」、「近江牛」などのようにブランド化し、通常の肥育牛の数倍の値が付かないと儲けは出ない。

  ブランド化には、餌へのこだわり(稲ワラやフスマの品質、大豆粕などの給与、松阪牛はビール・山形県の「米沢牛」はリンゴを与えるという。)、川(水)など周辺の環境、牛舎の環境(床の清潔・快適性、日の射し具合、1頭当たりの飼育面積など、要はストレスを避ける=「家畜福祉」)、周囲の仲間をリードするカリスマ的農家の存在など、幾つかの要因が重要とされる。

  このところの「船場吉兆」の食材偽称問題は、「宮崎牛」、「佐賀牛」などのブランドに追い風だ。日本屈指の代表的和食屋に出入りする美食家あるいは食通も「但馬牛」と、「佐賀牛」や「鹿児島(かごんま)牛」との識別が不可能であったのだ。和牛の鉄板焼や網焼、鋤焼も多分に登場したであろう。調理して提供する「迷店」もその差のないことを十二分に承知していたことになる。「松阪牛」も「但馬牛」も「前沢牛」(岩手県)も「近江牛」も・・・・・、「佐賀牛」、「鹿児島牛」、そして「宮崎牛」も遜色ないと言うことが周知されたことに他ならない。「宗谷黒牛」や「石垣牛」なども時を置かずして追随するであろう。

  こう考えると、最高級和牛肉は既に完成した食材と言えなくもない。私見を言うと「肥後の褐牛」の赤身が旨いと感じる。阿蘇の自然の「青草」の匂いが何ともいい。和牛ではA3のモモ肉、とうがらし、ハラミ、ミスジ、ランプなどが所望とするところだ。「霜降り」と反対の観点からブランド化できないものかと、考えてしまう。宮崎の野山で十分の野草(ハーブ)を自由採食し、大きくそして健全に発達した絨毛をもつ第1胃(ルーメン)で消化・反芻された食物繊維が、豊富なプロトゾア(原虫)と細菌叢により良質の栄養素を生み、それが筋肉へと運ばれる。アメリカの様にはいかなくても、少なくとも北海道張りの放牧はできないものか。焼酎粕(甘藷)や大豆粕(オカラ)なども利用できよう。水も旨いし、日も射す。その気になれば、稲わらも木屑も不自由しない筈だ。生産技術も折紙付きだ。霜降りに頼った「宮崎牛」から、旨味に重点を置いた「自然宮崎牛」への転換はできないものか、など・・・など。将来の超高齢化、健康食ブーム、脱メタボ、世界的食料不足などを考えると、根本的な飼養形態の見直しが必要ではなかろうか。「温故知新」と「最新の知見で自然(昔)に帰る」ことの観念をバランス良く併せ持つことが、これから益々必要だ。当然、楽はない。

  小学生の頃、「牛の仔市(うしのこいち)」(田舎では今でもこう呼ぶ)の帰りに親が買ってくる「みやげ」は決まってバナナであった。20本位が房となったのが、決まって2房であった。男兄弟3人で腹一杯喰った。当時バナナはその位貴重であった。牛様様の話だ。だが・・・・・、親牛と離別した仔牛は家畜市場で泣きっぱなしであった。目には泪を見た。家に帰ると1週間は親牛が泣いた。改めて、牛達にモーモーモー・・・モー烈感謝しなくては、罰が当たる。  




固定リンク | 2007年12月14日【22】

江戸にみる「美しい日本」・その4「江戸の食文化」

  今月20日、「ミシュラン」の☆が発表された。翌21日の毎日新聞の「余禄」と日経の「春秋」は揃って、日本料理が世界的権威の格付け機関から高い評価を受けたことに諸手を挙げての歓びぶりである。星の数ほどある飲食店の中から選ばれた東京の☆の数がパリの倍の数というから、判らない話ではない。
  
  日本人というか、江戸の人はそもそもランキングが好きな人種である。江戸期から「店」のランキングは勿論、役者や落語家、名所・旧跡、花魁、画家などの格付けを行ってきた。こちらは☆の数では無く、横綱、大関といった相撲の番付名が一般的である。実業家や金持ち(長者)にも格が付けられたのも凄い。因みに番付の本家・本元である相撲の番付は今から約250年前の宝暦年間が始まりという。
    
  さて、江戸期の人々の食事情は如何なものであったのだろうか。フランスではホテルではなく、その外で食事をする料理店を「レストラン(restaurant)」と呼んだ。このレストランが世界で最初に生まれたのがフランスで1776年という。日本では安政4年(1857年)頃長崎に、文久2年(1862年)横浜に洋食屋として開業したとされる。

  「レストラン」の定義は如何なるものか。仮に「宿以外の処で食事をする場所」、所謂「外食産業」とした場合、江戸では明暦3年、1657年の明暦の大火直後頃に浅草寺門前に「奈良茶飯屋」が登場したのが最初だとされる。江戸での「レストラン」の出現はフランスのそれよりも何と100年以上も前の事であるから、驚きだ。
  
  江戸では「奈良茶飯」をはじめ、鮨、天麩羅、蕎麦、鰻など様々な屋台や店が至るところに有った。人口当たりの外食産業の店舗数は、現在の東京よりも江戸の方が上回るらしいからビックリだ。余談かも知れぬが、割り箸も「引き割り箸」として江戸で生まれた。

  色んな人が「ミシュランの☆」について講釈を垂れている昨今だ。小生の通う居酒屋も自称・美食家が自論を宣う。何れにしても、世界が日本、特に日本料理の真髄に敬意を表したことに誇りを持とうではないか。「ミシュラン」はタイヤメーカーだ。料理評論家の集団で無いところが良い。ブリヂストンが日本国内の料理店のランキングをしたとしたら、何かが起こりそうだ。「ミシュラン」に感謝しなくてはなるまい。

  小生の憚りながらの自論を一寸。東京の其れなりの飲食店の料理は素直に旨い。工夫と努力が垣間見える。多少は値が張っても損した気がしない。要は、宮崎の料理人に☆を吟味して頂きたい。切なる要望だ。きっと☆の価値を認識できるに違いない。

  フランスでもワインの消費が減っているという。「ミシュラン」の☆はワインを提供する店に限っている。焼き鳥屋、居酒屋、ワインを強いて出さない鮨屋にも☆を付けて貰わないと不公平感を拭えない。☆の数で日本国内のワインの消費が増えるとも思えない。

  新橋、有楽町のガード下の居酒屋、新宿駅西口の旧称・「小便横丁」などのスポットもオススメ。「神田藪蕎麦」、浅草寺前の「並木藪蕎麦」は最高だが、駅や地下鉄入り口の立ち喰い蕎麦屋も外せない。至る処に旨い店があるから羨ましい。そう言えば、小生も人並みの鮨好きであるが、この半年間全く鮨屋に行ってない。蕎麦も天麩羅も、鰻屋も御無沙汰中だ。当分は居酒屋のお世話になるしかない。

  これからの季節の夜半、ほろ酔いで店を出て、☆空を見ながらテクテク、時にヨロリヨロリと歩き、暫し立止っての気道内圧が50mmHg以上の深呼吸をするのが何とも幸せだ。勿論、気分は満天(点)の☆☆☆☆☆だ。☆は☆でもほろ酔い時の冬空の☆が一番か。

  つづく。

固定リンク | 2007年11月27日【21】

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