今日の「ちょっとイイ譚・ウマイ譚」

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今週のつぶやき親仁・2021年12月19日(日)〜12月25日(土)

●「竹本とは?
▲(独)「日本芸術文化振興会」のホームページ(養成事業)より。
歌舞伎における義太夫節の演奏者を竹本といいます。義太夫節は「語り物」の音楽で、人形浄瑠璃の太夫、竹本義太夫が創始しました。歌舞伎には、人形浄瑠璃を原作とする演目(義太夫狂言)がありますが、この演目で義太夫節を語るのが竹本です。義太夫狂言の代表作には、赤穂浪士による仇討を題材にした『仮名手本忠臣蔵』などがあげられ、竹本はその上演には欠かせない存在です。
竹本は、太夫と三味線からなります。語り手である太夫は、登場人物の心情や場面の情景を独特の抑揚をもって語ります。三味線は、太棹(ふとざお)という大型の三味線を用い、重厚で力強い音色を奏でます。太夫、三味線1人ずつで1時間以上語り続けることもあり、登場人物が切々と心情を訴える場面などは、竹本の聴かせどころです。

▲写真の「絵本太功記」のセリフの多くは「竹本」によるものでした。それだけに歌舞伎役者の所作(演技)に観劇者の目が注がれるということです。歌舞伎役者と太夫、それに三味の「三位一体」(「三味一体」ではありません)なのです。
12月21日。



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今週のつぶやき親仁・2021年12月12日(日)〜12月18日(土)

●「向田邦子の譚(こと)・雑感
▲昨日の「ねずみ花火」で戦中戦後の日本のワクチン状況について書いた。
▲向田邦子が西洋史の先生がワクチンのアナフィラキシーショックで急死したのは、彼女が女学校のときだったという。当時の学制は、尋常小学校が今の小学校と同じで6年間、中学校と高等女学校が今の中学校1年から高校2年、高等学校と専門学校が今の高校3年から大学2年、大学が今の大学3年から修士1年である。女性は尋常小学校から高等女学校へ進み、さらに専門学校へ進学する。当時は、家が裕福でないと女学校へも進めなかった時代である。
▲向田邦子の場合、1942年(昭和17)3月に高松市立四番丁国民学校(尋常小学校)を卒業、1947年(昭和22)3月に目黒高等女学校を卒業、1950年(昭和25)に実践女子専門学校を卒業している。では「ねずみ花火」の先生がワクチンのアナフィラキシーショックで死亡したのはいつなのか。女学校時代が1942年4月から1947年3月の期間である。その間で戦後となると1945年8月15日から1947年3月までである。そうすると向田邦子が女学校の3年生から5年生の間となる。年齢にして16歳から18歳である。
▲そこでこの時期(戦中戦後)の我が国における予防接種の状況はどのようであったのか?
昭和18年〜 
・発疹チフスの流行(昭和21年の患者数は3万2千人余)
終戦(昭和20年〜) 
・コレラや痘瘡の流行・その他の伝染病も発生流行
・厚生省は各種予防接種(とくに腸チフス、パラチフス、発疹チフスの予防接種を強力に進める)
昭和21年 
・日本脳炎を予防方法を施行すべき伝染病に指定
昭和23年 
・伝染病届出規則の制定(インフルエンザや急性灰白髄炎、麻疹など13種)
・予防接種法の制定(定期および臨時の予防接種を行うものとして痘瘡、腸チフス、パラチフス、ジフテリア、百日咳、および結核の六病、臨時      の予防接種のみを行うものとして発疹チフス、コレラ、ペスト、猩紅熱、インフルエンザ、ワイル病の六病を定めた) 
以上は、民族衛生第73巻第6号(2007年)に掲載された渡部幹夫氏(順天堂大学医療看護学部)の論文(243〜252頁)をまとめたものである。     
▲「ねずみ花火」の西洋史の先生がどのワクチンを接種して亡くなったのかは不明である。開戦から80年が過ぎたが、当時はそのような時代背景にあり、その間の医学や科学の発展も見逃せないということだろう。余談だが、小生の祖父も日中戦争時の1938年頃、現地(武漢)でコレラのワクチンを複数回接種したことを日記に記している。
つづく。12月14日。

太平洋戦争終戦は1945年8月15日、降伏文書調印が1945年9月2日、サンフランシスコ講和条約調印が1951年9月8日、そして日本が主権回復(サンフランシスコ講和条約発効) したのが1952年4月28日である。

●「向田邦子の譚(こと)・「ねずみ花火」
▲向田邦子は1975年10月、乳癌の手術を受けた。その翌年退院したが、術後の後遺症(拘縮)で右手が使えない状態にもかかわらず、1976年2月から翌年の6月まで「銀座百点」にエッセイを連載(全25編)した。そのなかで最も評価されているひとつが単行本の書名になっている「父の詫び状」である。自ら左手で執筆したと語っている。
▲その単行本、「父の詫び状」(文春文庫)のなかにある「ねずみ花火」(pp126〜136)は、向田邦子の人生の中で関係したか、あるいは興味を抱いた人間が突然亡くなることについて書いてある。一人目は高松の小学6年生の時のことであり、二人目は鹿児島の小学4年生の時であり、三人目は女学校時代であり、4人目は「銀座百点」を執筆し始まる一五年ばかり前のことという。
▲4人のなかで3人目の人は、四十手前の女学校の芦沢という女性の先生で生徒に人気があり、西洋史を担当していたという。エッセイでは、時代は終戦直後のことで、女学校の衛生室で教員や全校生徒の集団予防接種があり、その芦沢先生が接種直後、急に気分が悪くなって倒れ、まもなく死亡したという事件である。向田邦子はその時の予防接種の名前を忘れてしまったとし、そのあと向田はじめ生徒への注射が中止になったのかについては触れていない。
▲何かで読んだが、戦後世界でジフテリアが流行し、日本でも大事になった。日本政府はソ連製のワクチンを導入し、一定の感染予防には寄与したが、ワクチンに原因したかなりの人数の死者がでたとの内容だったと記憶する。当時の厚生省がアナフィラキシーショックなどの注射(医療)事故をどの程度調査、把握していたのかは知らないが、あちこちで散見されるようなレベルであったなら、今なら大問題である。※注
▲その向田自身も「ネズミ花火」になってしまった。運命とはなんとも非情なことか。
つづく。12月13日。

※注:「京都・島根ジフテリア予防接種事件とは、1948年に京都府と島根県で起こったジフテリアの予防接種における医療事故である。日本における第二次世界大戦後最初の薬害事件であり、死者数は乳幼児を中心に83名または84名、副反応による被害者数は八百数十人から千人以上にも上った世界最大の予防接種事故である。」(Wikipediaよりそのまま)。
ジフテリアに限らず当時と今とは比較にならないほどワクチンの副反応が多かったのは間違いない。今はワクチン製法も精製の技術(不純物の除去)も進歩している。


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今週のつぶやき親仁・2021年12月5日(日)〜12月11日(土)

●「向田邦子の譚(こと)─μ旡欖
▲ここに「森繁の重役読本」(文春文庫)がある。帯時間で7年間余りの長期にわたってラジオ放送された台本の一部をおさめたものだ。期間は1962年の3月5日から1969年の4月19日までである。実に放送回数は2448回である。向田邦子(1928〜1981)、34歳から41歳の女ざかりの時である。
▲「森繁の重役読本」の末尾に「花こぼれ なお薫る -彼女は人の優しさ弱さを彫琢する手品師だった-」と題した森繁久彌(1913〜2009)の追悼文が載る。そこの書かれた「花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る」という文が向田邦子の墓石に刻まれた。墓所は都立多磨霊園で、最も敬愛していた父親と眠っている。
▲亡くなる前年の直木賞受賞で向田邦子を強力に推した作家の山口瞳(1926〜1995)は、その著書「木槿の花」のエッセイで彼女の死を激烈に悼んだ。その題名によって向田邦子の命日は「木槿忌」となった。
▲向田邦子の生前の映像や音声は多くない。お薦めはYou Tubeの「向田邦子の世界」である。澤地久枝氏らとの鼎談や直木賞受賞時の挨拶がおもしろい。
つづく。12月6日。


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