院長コラム

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2021年正月三が日の、つぶやき親仁・2020年1月1(金)〜1月3日(日)

●ニューイヤー駅伝を視るより、三船敏郎の「七人の侍」(黒澤明監督)を観るほうが勇気が出る、正月元旦。これもコロナ禍の影響か? 2021年1月1日。
※「七人の侍」:1954年公開。1954年の第15回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞受賞。1960年のアメリカ西部劇「荒野の七人」としてリメイク。2018年にBBC発表の「史上最高の外国語映画ベスト100」で1位に選出。
※三船敏郎(1920〜1997):世界の三船。外国映画の出演オファー多数も、日本映画にこだわる。黒澤明に最も愛され、尊敬された俳優。黒澤明監督の演技への口出しは無かったとも。逆に世界の三船の意見を取り入れたとも。「七人の侍」はいままで2、3回見たが、年を重ねるに従い新鮮味が増す、不思議な感触。時代設定柄、衣装やセットは古臭いが、役者の表現力は現代の役者も見習うこと多し。泥に塗れているが泥臭くない人情味溢れる作品。これからも何回か観ることでしょう。


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今週のつぶやき親仁・2020年12月13日(日)〜12月19日(土)

●「頼朝と義経
▲お隣・鹿児島の島津家の”起こり”は何処から? 島津家の家系図(?)では”源頼朝の落としだね”とあるらしいが、鎌倉時代には島津家自身が惟宗性を名乗ってい、この惟宗は”帰化人秦氏の直系”である。さらに強烈なのは、「惟宗王氏ハ劉漢霊帝ヨリ出ズ」と鹿児島外史は云う。
▲「夷人の靴を頭にのせるとも薩摩とは手をにぎらぬ」と、幕末の長州の英傑、高杉晋作は薩人を嫌った。最後の徳川将軍、徳川慶喜は、「長州は最初から幕府の敵として敵の姿をとっていたから自分はいまでも憎んでいない。憎むべきは薩摩の変身である」と島津に嫌悪した。
▲島津家はその元が鎌倉時代の惟宗家か、はたまた頼朝の落胤か・・・・・・どうであれ、鎌倉から室町、戦国から江戸、そして幕末まで薩摩・大隅・(日向)の三国を支配したのである。がしかし、その島津家に統治された民のである”隼人”のルーツが未だはっきりとしないらしい。卑弥呼と争った”熊襲”は“球磨”と”曽於”のことと云う。インドネシア説もあれば台湾説もあろう。要は日本にありながら中央政府と堂々と戦う勇猛で獰猛俊敏な民族なのである。
▲わが日向の国も島津の支配下にあった時代があり(最近には明治時代も宮崎は鹿児島県であった)、島津家の頼朝落胤説を拝借すれば、頼朝と宮崎も無縁でもない。こじ付けだが、興味のまま書いた。どうも宮崎人には薩摩隼人の血は皆無か、あったとしてもきわめて薄いであろう?

金之助「ところで主人先生よ、1185年の壇ノ浦で平家を滅亡させた頼朝ですにゃんが、その最高の功労者であり、かつ腹違いの弟であった義経が殺されなければならなかったにゃん?」

主人先生「頼朝はな、清盛の平家衰亡の原因を良く分析していたのじゃな。天皇や有力公家をはじめとした朝廷はな、自分たちの都合の良い、扱いやすい、利益をもたらす武士を利用することを性根としていたんじゃ。全国に領地は持つが武力を持たぬ公家は、懐柔しやすい武士を利用して天下を取って驕り高ぶった武士統領を追放し、その繰り返しで公家の領地をはじめ権威を保とうとする性質をもっているのじゃな。清盛もその例外じゃないのじゃ。清盛に疎んじられだした公家は源家の頼朝を頼りにしたのじゃが、頼朝はそうやすやすとはその手に乗らなかったんじゃな。頼朝が武士の最高に上りつめるなると、今度は別の武士の勢力を頼みとするのが公家の常なのじゃ。要は武士の統領と公家の利害とはいつの世も一致しないのじゃ」

金之助「平家物語の『驕れるものも久しからず』とはそのことですにゃん?」

主人先生「まさにその通りじゃ。そこで頼朝は鎌倉での旗揚げに先立ち、『院(出家した上皇)の直接の家臣は武士の総大将の頼朝ひとり』・『日本中の武士はみな頼朝の家臣』であり、『日本中の武士と土地は頼朝ひとりが院(天皇)より預かり支配している』と宣言したのだな。鎌倉政治の基本原則としたのじゃ。平家追討でいくら功績のあった弟の義経であっても、戦で義経に従った者はあくまでも頼朝の家人であって義経の家臣ではないのじゃ。すなわち義経が頼朝の代官であったからこそゆえ、義経に従って戦った武士たちであり、あくまでも頼朝あっての義経なのじゃ。もう少し踏み込めばその家人は義経と同格に功を競う立場にあったのんじゃ。功をあげることは領地(禄)を含め自身の益に直結することじゃからの」

金之助「そりゃいつの時代の主従関係はそうじゃにゃん。それがどうして義経を殺さねばならぬのにゃん?」

主人先生「そこじゃ。頼朝は、朝廷(天皇・上皇・法皇=院あるいは公卿=公家の実力者)の臣は頼朝ひとりとし、家人をはじめ武士は頼朝の家臣であることを、家人はもとより血のつながった義経にも範頼にも厳しく言い聞かせた筈じゃったんじゃが、当の義経はそうは考えなかったんじゃな。木曾義仲(=朝日将軍)が粟津にて石田次郎為久によって討たれ、一の谷から屋島、そして壇ノ浦で平家追討を終焉させた義経は、京で絶大な人気者となり、そして遂には後白河法皇より検非違使・左衛門尉を任官したのじゃ。これは鎌倉で平家追討を旗揚げした時、頼朝が『武士の叙任は一切頼朝を仲介者とする』との命を義経が破ったことじゃ。これが頼朝の怒りを買い、彼の有名な腰越の件があり、その後の義経追討につながったのじゃ」

金之助「それにしても異母といえども兄弟にゃん? 頼朝公は情けどころか血も涙もないヒトにゃん?」

主人先生「実はな、腰越の後、頼朝は京に居る義経に許嫁者だった河越重頼の娘を送り届けているんじゃ。この女性が奥州平泉まで伴った妻じゃ。腰越の件で、頼朝は義経を絶対に許さなかったのかと云うと、そうとも取れないらしいんじゃ。その後の義経の行動がまずかったんじゃがな。義経は叔父の家行の勧めもあり、遂には『頼朝追討』の院宣を乞い受けてしまったのじゃ。これが義経奥州落ちの顛末じゃ」

金之助「な〜るほどにゃん! にゃんにゃんにゃん!! 次も楽しみにゃん!!!」

参考:司馬遼太郎「歴史を紀行する」(文春文庫)・山岡荘八「源頼朝【3】」(講談社)

つづく。12月18日。


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今週のつぶやき親仁・2020年12月6日(日)〜12月12日(土)

●「頼朝の伊豆配流
金之助「主人先生よ、近頃コラムが更新されていないとスタッフが心配しているにゃん。どうかしたにゃんか?」

主人先生「そうなんじゃ、師走ともなれば少しはバタバタしてくるしな、それにコロナじゃからな、いちばんはネタがないことじゃ。山岡荘八の『源頼朝』は11月で読み終えたんじゃがな、読破してしまうと満足心が先行してな、それをネタのブログも精が出ないのじゃな」

金之助「そういえば池禅尼の助力によって清盛から殺されることを免れた頼朝は伊豆へ流されたあと、どうなったにゃん?」

主人先生「そうじゃたそうじゃった、金之助は猫だけあって執念深く覚えておるな、いいぞいいぞよ。頼朝が清盛の命で伊豆への配流が決まったのは頼朝が14歳の時じゃ。時は1160年3月のことじゃ。京を出た頼朝はむろん陸路で伊豆に着くのだが、そこでの見張り役が、もともと平氏の北条氏と藤原氏の末裔でもともと源氏に仕えていた伊東氏じゃったんじゃ。余談だがの、この伊東氏の末裔関係が日向の国の伊東氏じゃな。これは追って詳しく話そうぞ。その頼朝の配流地じゃがの、北条、伊東両氏の話し合いで決まったのが狩野川の川中島(中州)である、彼の有名な蛭ヶ小島(伊豆の国市)じゃな。1160年6月中旬のことじゃった。頼朝は意識的に伊豆へは直行せずに、駿河の三島明神(静岡県三島市)から箱根権現(神奈川県箱根町・芦ノ湖湖畔)を回りそれらの神社や寺院を参り、祈念したのじゃな。うん、その顔は『何を望んだと?』、そうじゃな頼朝が祈念したのは父、義朝の供養と、それにじゃ源氏再興への誓いであったはずじゃな」

金之助「主人先生よ、源頼朝さまが平氏を打ち破るのに蹶起したのはずいぶんと後にゃん?」

主人先生「そうじゃな、以仁王の平家追討の令旨が出たのが1180年の4月でな、石橋山の戦いで敗れ安房へ敗走したのが、その8月じゃ。ところでな伊豆に配流されてからの頼朝は実にその20年間を耐えに耐えて平氏の衰退を待っていたのじゃがな、つまりは清盛入道の死をじゃな。その20年間に頼朝が行き来した場所が、今や、立派な観光地じゃ」

金之助「そういえば、この10か月間は『今月の旅』もお預けですからにゃん。『伊豆の頼朝の旅』にゃんちゅうのもイケるにゃん?」

主人先生「そうじゃそうじゃな、頼朝はその20年の配流生活でいろんな所に行っているんじゃな。それはな、先の三島明神、箱根権現をはじめ、来宮明神(熱海市)、伊豆山(伊豆権現・密厳院=高僧の文陽房覚淵阿闍梨、熱海市)、伊東祐親邸(伊東市)、北条時政邸(伊豆の国市・狩野川の東岸)、山木郷(館)・山木判官兼隆邸(伊豆の国市山木)、奈古谷寺(=那古屋寺・伊豆の国市・狩野川向かいの江間小四郎の邸・蛭ヶ小島に近い)、そして石橋山(石橋山古戦場・神奈川県小田原市)・・・・・・ざっとこんなもんじゃな」
※頼朝は、密厳院では文陽房覚淵阿闍梨のもとで仏道・学問を、箱根権現では武道を修めた。

金之助「そんなに沢山あればにゃん、コロナ禍後の『今月の旅』も、もう決まったようなもんにゃん? 羨ましいにゃん!!」

主人先生「そうじゃな、国内での新型コロナワクチン接種も予定より大幅に前倒しかもしれんしな。コロナ禍後の旅ラッシュは見ものじゃな。そろそろ航空会社やホテルの株価が上がってもおかしくないんもんな。ともあれ、それまで我慢の巣ごもりじゃ。行ってみたいところを吟味して貯めて順番を決めておかんとな。これから忙しいぞな。呵呵!!!」

つづく。12月11日。


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