院長コラム

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今週のつぶやき親仁・2019年11月10日(日)〜

秀吉の赤頭巾に赤ちゃんちゃんこ・・・・・・写真(日本の写真の祖は長崎の上野彦馬です。幕末の譚です。)が残っているわけはないのですが、後世につくられた秀吉のイメージとは恐ろしいもので、「還暦」と聞くだけで秀吉の間抜けな「バカ殿振り」が頭に浮かぶのは・・・・・・私だけでしょうか。戦国時代に「還暦」祝が存在したのは確かですが、赤い頭巾に赤い羽織を着ていたかどうかは、要調査事項です。とまれ晩年の秀吉は無謀な朝鮮出兵を強行するほどに「認知症」が進んでいたのではないかと言われています。秀吉は1536年もしくは1537年生まれで、1598年が没年です。文禄の役(1592〜1593)の時は56歳頃ですが、慶長の役(1597〜1598)の頃は還暦を過ぎています(62歳没)。天才も歳には勝てず、バカ殿になっていたのです。そのバカ殿の赤いちゃんちゃんこが何故かすっぽり似合っているのが・・・・・・親仁には許容できないのであります。要はまわりに馬鹿に虚仮にされているのでありますから。呵呵!!! ついでながら秀吉の推定死因は腎虚(房事過度)、認知症、消化器癌(疑い)のようです。(篠田達明著「日本史 有名人の臨終カルテ」pp144〜147・新人物文庫)。→真剣に読んではいけない本ですぞ。11月10日。

●ついでに「還暦祝」に関連した「ちゃんちゃんこ」について・・・・・・嫌味をひとつ。「ちゃんちゃんこ」の語源は諸説あるやに思われますが、江戸時代、中国の袖なし羽織を身に着けた子供が江戸の街中を鉦を鳴らしながら、飴を売り歩いていたことから、その「袖なし羽織」を意味するようになったのが、一般的のようです。日本の還暦祝の始まりは奈良時代(当時は40歳が「賀の祝い=長寿の祝い」の最初で、その後10年毎に行われた)からだそうで、室町時代に60歳が定着したようです。それではなぜ頭巾やちゃんちゃんこなどの贈り物が赤色かというと、かつては魔除けの意味で産着に赤色が使われており、60歳で生誕時の干支に還るという意味で、この慣習があるのです。つづく。11月10日。


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今週のつぶやき親仁・2019年11月3日(日)〜11月9日(土)

●ついでながら私の生まれた昭和34年(1959)の干支は己亥(つちのとい・きがい)ですが、どうでしょうか・・・・・・孔子様は何年の生まれなのでしょうか。簡単ですから調べてみました。孔子様は紀元前552年生まれで、酉年です。干支は己酉(つちのととり・きゆう)。没年は紀元前479年ですから、73歳まで生きました。当時としては極めて長寿だったのでしょう。(70歳まで生きることは)「古来より稀なり」が「古稀」の語源でありますが、残念ながらこれは孔子様に関係なく、唐の詩人、杜甫の「人生七十古来稀」(曲江詩)に由来するのだそうな。ところで干支はいつごろから使用されるようになったのか・・・・・・それは孔子様よりもさらにさらに昔の「」(いん・紀元前17世紀頃〜紀元前1046)の時代まで遡るそうです。中国悠久の知恵のひとつでしょうか。最後に、「古稀」発案の杜甫(712〜770)は70に遠く及ばない58歳の生涯でした。11月8日。

●わたしも全国の約152万人の同級生のひとりとして先月、還暦を迎えました。信長の愛した「敦盛」の「人生五十年・・・・・・」と同格に有名なのが、(子日)「吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」(孔子「論語」為政)・・・・・・ですな。「六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。」・・・・・・・のですが、だれもが孔子様のようには成長できません。殊に「亥年」生まれにあっては、今なお他人の言うこと(諫言・進言)など何を戯言を・・・・・・ですな。多分、この世を終えるまで「耳順」なんてことはないでしょう。因みに還暦は十干十二支の組合せですが、数学的には120年となりますが、下記のように最小公倍数の60が一回りとなります。「干支の60周期を表した図」を見ると理解できます。
1甲子 2乙丑 3丙寅 4丁卯 5戊辰 6己巳 7庚午 8辛未 9壬申 10癸酉 11甲戌 12乙亥 13丙子 14丁丑 15戊寅 16己卯 17庚辰 18辛巳 19壬午 20癸未 21甲申 22乙酉 23丙戌 24丁亥 25戊子 26己丑 27庚寅 28辛卯29壬辰 30癸巳 31甲午 32乙未 33丙申 34丁酉 35戊戌 36己亥 37庚子 38辛丑 39壬寅 40癸卯 41甲辰 42乙巳 43丙午 44丁未 45戊申 46己酉 47庚戌 48辛亥 49壬子 50癸丑 51甲寅 52乙卯 53丙辰 54丁巳 55戊午 56己未 57庚申 58辛酉 59壬戌 60癸亥つづく。11月8日。


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今週のつぶやき親仁・2019年10月27日(日)〜11月2日(土)

●そしてコースがおわり、会計をすると・・・・・・なんと・・・・・・「わたしがホテルまで車で送ります」と、西さんが言うではありませんか。これまた身分知らずの二人は、固辞したものの、結局は厚意に甘えることに。待つのも束の間、西さん一人が高級外車を店先に横付け、そしてわれわれふたりは、彼のTホテルまで送ってもらったのであります。世の中、こんな夢のような譚が現実にあった・・・・・・という譚でした。今もあの夜のことは鮮明に記憶しているのであります。新聞のままの、またいつでも会えそうな、優しい笑顔を。11月2日。

●わたしの数少ない自慢のひとつ・・・・・・2019年10月28日の宮崎日日新聞の「追想・メモリアル」の欄に「西健一郎」さんが載っていた。むろん亡くなったのは直ぐのニュースで知っていた。かれこれ20年も前のことだ。友人の知る、西さんの店、「京味」を新橋に訪ねた。ふたりとも一見さんだったが、友人が誰の紹介だったのかは、いまは不明。譚というのは、なにの拍子か忘れたが、西さんと絵画の話になったところ、「あなたは詳しそうだから、一枚の絵を見て、いくらぐらいか、教えてもらいたい」という。わたしは当時、西さんがそんな偉い(「和食の神様」)とは知る由もなかったし、酒も回っていたので、知ったかぶりで引き受けたのだ。その絵と言うのは、むろん謂れつきで、西さんが若いころ、梅原龍三郎に鯛を頼まれて自宅に行った折、その魚を捌くまえに「いまからその鯛の絵を描く(デッサンする)から、そこに置いてくれ」」と頼まれ、その絵を貰ったそうだ。その前講釈のすぐあと、2階に消えた西さんがもってきたのが、色紙程のサイズの「」のサインが入った「鯛」のデッサンであった。わはしは身分もわきまえずに、「オークションでも50〜60万は下らないでしょう」と答えたのであった。つづく。11月2日。


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