宮崎市 たばる動物病院 土曜診療・日曜診療 獣医師・トリマー・動物看護士 募集



院長コラム

たばる動物病院 > 院長コラム

院長コラム

最近の記事

今週のつぶやき親仁・2018年9月16日(日)〜

●関西国際空港連絡橋の譚。「連絡橋は、旧関空会社が約1,500億円で建設し管理していた。しかし建設費の有利子負債が旧関空会社の経営の足かせになっているため、国による買取・管理を強く求めていた。2007年12月、連絡橋道路部分を国が旧関空会社から買い取る財務省予算原案が内示され、国有化の計画が決まり、2009年3月17日に国有化が閣議決定された。国有化のスキームとしては、国道481号の一般有料道路を新たに整備することとし、実際には建設に替えて旧関空会社から買い取るという形をとった。具体的には、2009年3月26日に連絡橋道路部分に相当する区間が国道481号の指定区間とされ、2009年4月16日に日本高速道路保有・債務返済機構(以下、高速道路機構)とNEXCO西日本との協定が変更されたことで、一般有料道路『関西国際空港連絡橋』の整備が確定した。ついで、2009年4月29日に連絡橋道路部分を国土交通省とNEXCO西日本が約700億円(資産価値は約780億円と試算)で買い取り、一般有料道路『関西国際空港連絡橋』が『開通』することになった。」(Wikipedia引用)。そうです、初め連絡橋は民間会社が建設したもので、運営困難から国営化(国道481号)されたのです。このような大規模な建造物でかつ国民や経済に及ぼす影響が大きなプロジェクトは国がはじめから深く関わるべき・・・・・・ということです。発電所も然りです。この連絡橋とブラックアウト事故を良い教訓にするべきなのです。つづく。9月19日。

●ブラックアウトが起こる前、わたしは宿泊した札幌のホテルでテレビ画面に食い入っていました。突然の大揺れで目が覚めた瞬間にはテレビのリモコンを手探りしていました。函館山から函館市内を写したカメラに市内の照明が次々に消えてゆくのをニュースが何度も伝えています。函館の夜景は夜通しではありません。たしかロープウエイの最終は10時か10時半ですから、その後は他の街と同じように眠りにつきます。あの深夜3時30分頃の夜景は特別だったのです。揺れで起こされた(ほぼ全部の)市民が部屋の明かりをつけテレビの電源を入れたのです。それが未明の真っ盛りの夜景を生み出したのです。おそらく道民の多くが同じ行動をとった筈です。そのためブラックアウトが起こったとも言えます。むろん根本原因は地震と耐震強度の低い苫東厚真火力発電所であります。つづく。9月19日。

北海道胆振東部地震ブラックアウト。北海道電力の危機管理責任は重い。十勝や日高は地震の多発地帯だ。苫東厚真発電所の耐震設計は震度5だったというから驚愕だ。開いた口が塞がらないとはこのことだ。では松井大阪府知事がお怒りの連絡橋はどうだったか。果たして連絡橋の線路や車線は海抜何mだったのか。明石大橋の高さまではなくとも、なぜに大潮や台風で潮位が増した時のことを考慮して設計しなかったのか。現に関西国際空港は”冠水国際空港”となったのだから。関西国際空港の滑走路の海抜は1.4m。台風21号の潮位は3.3m。いくらかの護岸もあったのだろうが、冠水しても当然ということだ。つづく。9月19日。


固定リンク | 2018年09月16日【110】

今週のつぶやき親仁・2018年9月9日(日)〜9月15日(土)

●関空の連絡橋にタンカーが激突したことに、大阪の知事が御碇(錨)だ。いやいや大お怒りだ。古来の武士道精神を貫く戦国武士や、203高地やノモンハン事件の日本兵なら火縄銃や機関銃、戦車砲から飛んでくる弾に向かって「いざ突撃」だっただろうが、今の時代、巨大台風の進行方向から逃げて遠ざからないというのは無謀すぎる。大阪湾も巨大台風の風浪にはその地勢学的防衛力も太刀打ちできない。その台風21号を向かい打つ形での北海道の旅。飛行機の羽田の羽田着陸時、東京湾には今まで見たこともない数のタンカーなどの大型船舶が錨を落としていた。関東は暴風雨圏内でもなかったが用心深い賢明な行動だ。それに引き換え関空の事故は”人災”に違いない。今までに大嵐で海や湾が時化て座礁や沈没した船舶は数えきれないだろうが、船長や艦長の機転でそれを免れた例も決して少なくはないはずだ。1867年の戊辰戦争の終盤、あの開陽丸も新政府軍と交戦することなく江差港外で波嵐に砕かれ沈没した。この開陽丸の場合、砕かれた原因は座礁であった。艦長の榎本武揚(釜次郎・1836〜1908)は沈没を防ぐ最期の手段として、「ついには片舷の艦砲を一方にむかい、一斉に射撃した。その反動で暗礁から離脱できるかというかすかな希望がもたれたのだが、しかしむなしかった。」(司馬遼太郎「街道をゆく15・北海道の諸道・江差の風浪」pp169〜180)・・・・・・のだ。「長」のつく役職にある者には知識と知恵と想像力と行動力が必須条件・・・・・・という譚だ。くどいが榎本武揚はその任の能力になかったということ。9月10日。


固定リンク | 2018年09月09日【112】

今週のつぶやき親仁・2018年8月26日(日)〜9月1日(土)

●畏れの、ついでながら天皇の譚。神武天皇を初代として今上天皇は125代目である。神武天皇から14代の仲哀天皇までは神話時代と言われ実在したかどうか大いに疑われている。神話の拠り所は「記紀」(古事記と日本書紀)に負う。実在の15代応神天皇から今上天皇まで、古い時代ほど、眉唾物的な存在もある。司馬さんも、「『日本書紀』に、継体天皇というふしぎな存在が出てくる。この人はいまの福井県(越前)に住んでいた。越前の伝承では九頭竜川、足羽川、あるいは日野川の流域平野を大いにひらいて農業生産をあげたという。その在世は五世紀から六世紀にわたっている。(略)名は男大迹王(もしくは彦太尊)とよばれた。おそらくかれは、富強であったであろう。この勢力家の正体については『日本書紀』は応神天皇5世の孫であるという。実父はいまの湖西線ぞいの滋賀県高島郡にいたともいう。実際はどうであったかわからず、そういう由緒は当時でもつくることができるのである。たとえかれが五世の孫であったとしても、五世代も経って、しかも父が湖西の草ぶかい高島の地にいたという程度ならば、地下の者とさほどかわらない」(司馬遼太郎「街道をゆく18・越前の諸道」・p11・朝日文庫)・・・・・・と書いている。「地下の者とさほどかわらない」は強烈だ。戦勝国と敗戦国の指導者、国民の戦争責任に対する考え方は正反対かもしれない。勝った側の大将、将軍は相手を多く殺したほうがより英雄であり、負けたほう(味方をたくさん殺された側)がその真逆である。昭和天皇も今上天皇も、多くを語らないが(語れないのか)懸命な行動でその償いを暗黙に示されている。われわれ下々の国民もそうあるべきで、政治家も況やである。司馬さんが書いたように、天皇も生身の人間である。英国ロイヤルのように天皇家がより身近な存在であっても良いのではないか。生の気持ちを訴えたり、たまにはお忍びで銀座を散策するような存在であってもらいたい。そういう国になってもらいたい。継体天皇は26代。8月27日。

●ついでながら天皇の譚。平成の明仁天皇の戦地や戦没者慰霊訪問には畏敬の念が湧く。戦争に関わることに限らず自然災害や震災など時間さえあれば現地に足を向け、膝を折って被災者に寄り添い語り掛け励まされる。毎週のようにその光景がテレビに映る。80歳を超えた人間とは思えないくらいアグレッシブだ。頭が下がってありがたい。昭和の裕仁天皇も戦争責任に対して日々自責の念に苛まれた・・・・・・と、侍従の日記が語った。終戦まで天皇は現神であった。が、少なくとも日露戦争以前にはそうでなかった。平安末期から鎌倉の武士の世になってからは、鎌倉は源と北条氏、室町は足利氏、戦国は信長や秀吉、江戸は徳川氏の政権によって良いように操られ利用されてきた。幕末は薩長や一部の公卿が京都御所を思うが儘に操縦した。孝明天皇に至っては岩倉具視と大久保利通による暗殺説まである。そうであるから天皇が現神人でないことは今に始まったことではなく、厳然とした一個の生身の人間なのだ。そうであるから昭和天皇も自身の戦争責任を人の何十何百倍も感じていたのだろう。つづく。8月27日。


固定リンク | 2018年08月26日【102】

1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7    »    [30]

- 管理用 -

最近の記事

月別記事

このページの先頭に戻る



宮崎市 たばる動物病院 土曜診療・日曜診療 獣医師・トリマー・動物看護士 募集

このページの先頭に戻る